決心
 涼やかで甘い声だった。
 シヤがレグルにねだったのは、シヤが見たことのない外の世界の話だった。
「何でもいいので、聞きたいです。話していただけませんか?」
「・・・俺は、話しをするのはあまり得意でないんだが・・・」
 期待に眼をきらきらさせるシヤに断ることが出来ないレグルが、溜息をついた後、その場に腰を下ろした。
 シヤもぺたりと座り、柵越しに向かい合う。
 外に出たことがないというシヤは好奇心に溢れていた。
 檻の外には知らないこと、見たことのものがたくさんある。
 シヤには想像も出来ない世界が広がっていることは何となく知っている。でもそれは自分には絶対行けない世界だとも。
 外の世界に憧れていたけれど、飛び出したいとは思わなかった。
 出られるとは思えない。心が諦めてしまっていた。
 自分では到底行けなくても焦がれる気持ちぐらい持っていても許されるはず。
 でもいろいろ山ほど聞きたことはあった気がしたけれど、レグルを前にして、レグルの精悍な姿を見ていると、すべての言葉が薄れて消えていくようだった。
 求めれば丁寧に話してくれるけれど、レグルは自分からどんどん話す質ではなく、シヤが止まればレグルも止まる。
 沈黙が生まれるとレグルは途端にそわそわとしはじめて、急いで手を伸ばしてレグルを引き留めないといけないけど、シヤは十分に楽しくて、満たされていることに気が付いた。
 外の話がなくても、レグルがいるだけで、レグルと一緒にいるだけで嬉しい。
 それはレグルが、外そのものだから。
 黒髪黒瞳のレグルは外に広がる自然の中で生き抜く古い血族で、シヤには手の届かない世界そのものだとーーー。
 シヤが尋ねるのは、じきに漠然とした外の世界についてではなくレグルの事になっていた。
「あなたは、この近くに棲んでいらっしゃるのですか?」
「いいや。当てのない旅暮らしをしていて、ここには迷い込んできたようなものだよ」
「・・・では、またどこかに行ってしまわれるのですか?・・・」
「ああ、そうなる」
 簡潔な返事は、当然で予想していたものだったけれどシヤに突きつけられた衝撃は想像以上だった。
 檻から出られないことは平気だった。
 でもレグルが去ってゆくことは平気であれないのだ。
 辛くて、苦しい。考えただけで心が裂けそうになってくる。
「おいっ・・・」
 レグルが慌てた声を出し、シヤもはっと気が付いて頬を手の甲で拭っていた。
「あ、ごめんなさい・・・こんなことでは、また怒られてしまいますね」
 目から溢れて頬を伝った涙に、さすがにシヤ本人も驚いていたが、硬直するレグルの様子に気付いて笑顔を取り繕って必死に誤魔化そうとした。
「大丈夫です、もう平気ですよ・・・どうか呆れないでください、こんなこと二度としませんからっ・・・」
「呆れてはいないが・・・」
 レグルはすっかり度肝を抜かれている。
 何回目だろうか。シヤは外見から中味まで丸ごと全部レグルの常識など通じない相手のようだ。
 泣かれるなどーーー。
 しかも自分が泣かせたのだ。
 ザフィネがおそらくこのあたりを仕切っているのだろう。あの女がいる限り、レグルが留まることは難しいから、争いになる前に出て行くことは当然の話だった。
 が、それを伝えると、泣いた。
 冗談のようだったが、本当だった。
 感情を隠さないだけでなく、感情豊かなシヤは、本気で泣くのだ。
 なぜこんなに気に入られているのか不思議なほどだった。
 不思議だけど、悪くないと感じてしまう。
 背筋がちりちりとこそばゆかった。
 美しく純真でおかしいシヤと、檻の相手にとち狂ってしまっておかしい自分。
 この先どうにかなるものでもないのに、この一瞬に胸を高鳴らせて動揺している。
 でも、最後にこういうのもまんざらでもないと思ったから、
「そんなに長くはいられないと思うが、・・・もう少しはいるつもりだ」
 予想通りぱっと笑顔を輝かせたシヤに、レグルは出来る限りの優しい顔をした。
「邪魔じゃないなら、また来るよ」
 もうここでいいか、と思ったのだ。
 これでいいと、レグルは心を決めたのだ。



20160118

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