ザフィネ
 跳ぶように移ったシヤの動きの良さに面食らったレグルが、侮っていた相手の能力に緊張する暇もなかった。
「褒めて貰えることなど無いと思っていた。黒髪黒瞳のあなたの前で、わたしの心は舞い上がっている。頭の心がくらくらして、倒れてしまいそうだ。わけもないことを口走って、後悔しそうだけど、とめられない。会いたかった、会ってみたかった、黒髪黒瞳の古い血を受け継ぐひとたちに、でもそんなことは夢また夢だと思っていた!」
「・・・大げさだな・・・」
 なんだかひどく持ち上げられていて、レグルは苦笑するしかない。
「だって聞いていた、新生のものが多くなって、対立や争いを嫌った黒のものたちは姿を現さなくなったってっ」
「・・・それは当っているのか?対立に負けた俺たちの多くは死んで、めっきり少なくなった、が正しい気がするぞ・・・」
「そんなっーーー」
 シヤは絶句すると、うな垂れた。
 新生のものとは、元々ではなく生み出されたものたちだ。
 同じだろうと違うもの。
 黒色ではなく、褐色や黄色、最近では乳白色といった色素の薄い髪をしたものも存在することを聞いてはいた。
 そして、今、レグルの目の前には銀色に金色というシヤがいる。
 新生の最先端にいるのが、このシヤというわけである。
 そのへんのことはシヤ本人もわかっているようで、今の今まで子供のようにはしゃいでいたのが別人と、すっかり気落ちした様子は不憫なほどだった。
 起伏が激しい。そしてそれを素直に現す。
 生まれたての子供だった。擦れても、汚れてもいない。疲れても歪んでもいない。
 短くはない時間を生きてきただろうに、檻の中だとこんなふうに育つのだろうか。
 自分とは、何もかも違う、と思った。
「・・・もう大人だろ。人前でそんな顔をするんじゃない」
 困ったレグルが言うと、シヤは弾かれるように顔を上げた。
「・・・あ、すみません・・・そうですね、わかりました・・・」
 繊細な顔は表情を変え、痛みが伝わるほど真剣なものとなった。
「あの、聞いてください・・・わたしは・・・わたしは・・・」
 何か、言いたいことがあるようだとはわかったがそれがどんなことか、想像も付かなかった。
 だから、レグルは紡がれるまで待つしかない。
「どうした、なんだ?」
「あなたはーーー」
「シヤ!」
 シヤの声に、第三者の強い声が重なっていた。
「あ、待ってください」
 大きく背後に跳び退ったレグルに、シヤは悲鳴のように叫んだが、別の声が掻き消してしまう。
「それ以上、寄るんじゃない。得体の知れない奴に、変な病気でもうつされたらどうするんだい!」
 大柄な女だった。
 年嵩はレグルよりも上だろう。
 体格も、シヤなど見るからに太刀打ちできないぐらい、男として標準以上だと自負しているレグルの体つきより一回りほど大きい。
 栗色の髪に蒼い瞳は、ごく一般的な新生のものでなんとなく、ほっとする。
 がっちりと大きいが肉の軟らかな線を備えていて、力強く魅力的な女だと言えないこともなかったが、今のレグルには油断のできない敵だった。
 檻の中にいるシヤとは違い、女は、檻の外にいてゆったりとした足取りで近寄ってくる。
 侵入者たるレグルがするべきことは、一つだけだ。
 檻に取り縋ったシヤが悲愴な顔をしているのを視界の隅で見て、だからまた、そんな顔をーーーと思った。
「あざやかだねえ・・・」
 女が感嘆の声を上げたときには、レグルの姿は森の中に跳び込んで溶けた後だった。
 一瞬に後ろ姿も見失い、静かに吹き始めた夕風が残った匂いもあっという間に運び去ってしまい、シヤは夢を見たような心地にさせられていた。
 目を覚まして一日中悲しく沈むことになる夢。目覚めも覚えていることも呪わしい夢だった。
「シヤ、なんて顔をしているんだい。もうすぐ、御主人が帰ってくる。そんな様子を見せるつもりかい?」
 でもこの夢は、シヤだけが見たものではないとザフィネが教えていた。
 ザフィネを無視してシヤは黙ったままだったが、それに怒った様子はなかった。ただ、次の声は潜められた。
「ーーーどうなっても知らないよ」
 嫌そうにザフィネは言った。
 それも聞こえないようにシヤは名残惜しそうに森を見つめていたが、ザフィネが溜息を吐く前に、くるりと踵を返して檻の中央に戻っていった。
 元通り、色とりどりの大きなクッションが置かれたソファーの中にシヤの姿は埋もれるように消えた。



20141128

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