檻の囚われびと
「誰?」
 声だった。
 高くもなく、低くもない。澄んだ湖のような声が、誰何する。
 問われたのは、レグルだ。
 あたりにはレグルと声の主の姿しかなかった。
「そこに居るのは誰ですか?ここから・・・わたしからでは陰になって姿が見えません」
 レグルはゆっくりと一歩動いた。
 そうすればレグルの体は相手の死角から外れ、向こうからも可視できるはずだ。
 レグルの姿を目にして、すうっと表情が固まった気がした。
 息を詰め、レグルを見ている。
 怯えるか。
 それとも、嫌悪か敵意を向かれるか。
 レグルは男らしい唇に薄い笑みを浮かべる。
 決して優しげなものではなく、精悍な顔立ちの男は、その笑みのために余計に物騒で近寄りがたい雰囲気になっていた。
 恐怖か、敵意か、たとえ本当にそのどちらかであっても、どうにもならなかった。
 相手には逃げる場所も無ければ、血気はやってレグルに襲いかかることもできないのだ。
 なぜなら、檻の中にいるのだから。
 囲われた狭い空間から出られない囚われものだった。
 得てして、世界を隔てる柱は細いが、へし折ることも歪めることも出来ない鉱物製だった。
 磨き上げられた鏡のように色が無く、風景に溶け込みそうだったが檻は檻だった。レグルが進入することも出来ないし、反対に中のそいつが出てくることも許さない。
 レグルも、さすがにもう理解していた。
 世界はレグル達だけのものではない。住んでいるのはレグルの種族だけではないのだ。
 さまざまな生き物がいて、どう足掻いても歯が立たない者たちもいて、主(あるじ)と呼ぶそいつらはレグルたちを戯れに狩って殺してみたり、逆に生かして囲いたがることがある。
 手元に置き、餌を与え、飼うのだ。
 十分な食べ物を与え、清潔な住処を与える。
 勿論、囲う側にも性格があり、嗜虐性を好む者から身を削るほどの愛玩を貫こうとする者もいる。
 主に捕まり、囲われることで、安寧を得られることになるという考え方があることを知らないわけではなかったけれど、レグルにとって受け入れがたいものだった。
 囲われながら、のうのうと生きる仲間の存在は忌むべきものだと思っていた。
 恥知らずで、誇りも持たない輩だ。
 自分なら、数日持たず気が狂いそうだった。狭い中に閉じ込められて、食い物は与えられるが、死を迎えるまでただ延々と自由無く生きるなど、真っ当な奴には堪えられない。この日まで、ずっとそう思っていた。
 だから。
 目の前のこいつは、見た目同様、どこか異常な奴ーーー。
 見透かされないよう、努めて冷ややかな視線を送ろうとしたレグルだったが、次の瞬間、そんな苦心など木っ端みじんに打ち砕かれることになった。
「わたしは、シヤ。あなたの名前は?」
 檻の中に囲われているシヤは、レグルを向かって嬉しそうに続けた。
「あなたのようなひとに会うのははじめです。わたしは生まれてほとんど時間をここで過ごしてきましたが、はじめてなんです。とても驚いています。とても嬉しくて、ひどく興奮している・・・」
 流れるような華やいだ声は、屈託なく、一欠片の敵意も無く友好的だった。怯えもなかった。
 一回りも上背のあるレグルに、少しも怖がる様子もなく白い顔には満面の笑顔を浮かべていた。
「あの、なにか仰ってください。・・・わたしの言葉は通じませんか?」
 返事がないことに、ゆっくりと表情が陰ってゆく。
 目にする方こそ悲しくなりそうな、悲痛な色が取って代わり、もう一度
「・・・通じませんか?」
「いや、通じる」
 シヤの悲しみに気圧されるように慌てて答えたレグルに、シヤはぱっと再び表情を輝かせた。
 まるで、本当に輝くようだった。
 己が偏見を持っていたことを認める。囲われて生きる奴らを、自分とは違う劣った者だと考えることで、いつか自分の身にも降りかかるかもしれない絶望を、自分とは関係ないものとしておきたかったのだ。
 見下すことで、恐怖感を払おうとしていたに過ぎないのだ。
 けれで、もうレグルにはその恐怖感は曖昧でしかない。
 死を思わせる恐怖も絶望も、今さらだった。
 だから純粋に、シヤを見つめることが出来たのかも知れない。
 真っ直ぐに目を向けて、正しく評価する。
 囚われるシヤは、やはり異常だった。
 異常な姿をしていた。
 シヤは異常なほど、今まで見たすべての生き物なかでも、飛び抜けて美しいとレグルは思った。



20160118改

前へ 目次 次へ