葛藤の果て
 気力が尽きて、ひっくり返っているレグルの前で暗幕が揺れ、ザフィネが姿を見せた。
 いつもザフィネは一人喋るのに、この時はただ顔を出しただけで、無言だった。
 だから沈黙が続き、居心地の悪さに耐えきれなくなったようにレグルが口を開いた。
「ーーー乾ききって、かさついている、あれが食い物なのか?」
「ーーー一応ね。まあ、生に比べるとありえない食感だけど、食っていると癖になる味付けだよ・・・」
「そんな風には思えないが」
「あれにもいくつか種類があって、味が違う。好みじゃなかったらひっくり返してばらまいてやりゃあいい。何回かやると、もう出てこなくなる」
「そうかい、貴重な情報だな、感謝するよ」
 まったく謝意などなさそうに言った後で、レグルはのそりと起き上がった。
 そして檻に備え付けられた餌置き場に向かった。
 無造作に腕を突っ込んで掴む。
 口に運んで、ばりばりと咀嚼した。
「不味い」
 はははと、ザフィネは困ったように笑った。
「生温かい肉こそが食い物だろ」
「まあ・・・それは聞いただけで涎が溢れてくるようなご馳走だけどねえ・・・」
「クソ不味い・・・」
「ああ。・・・でも、私は心から、あんたに感謝しているよ。シヤもさ。・・・じゃあ私はさっそくシヤに伝えに行ってくる。もう無駄に暴れさせないように」
 レグルは何も答えなかった。
 でも背を向けたザフィネが、再び、レグルを振り返った。
「あんた、ほんといい男だな、優しくていい奴だ。惚れ直した、ぞっこんだよ」
 ザフィネの臆面もない熱烈な告白だったが、これにもレグルはまるで聞こえなかったように無視した。



 それが残された道。
 自分の前に拓けてしまった、新しい道。世界。
 受け入れていた死を回避した結果だった。
 望んで死を退けた訳ではなかったけれど、いつでも付きまとう絶対的な死を上手く避けるよう藻掻きながら、賢く、強く生き延びることが命のあるべき姿だと、レグルは考えてきた。
 今だって、そう感じている。
 だったら意地を張って絶食し、死を待つことはこれまでの考え方に反することになる。
 ならば、囚われの身に甘んじて生きることこそ、善だというのだろうかーーー。
 囲われ者として屈辱的な生、時間を過ごすことになっても、それは善なのかーーー。
 よくわからなかった。
 答えはおそらく、しばらくは見つかりそうにないと思った。
 もしかすると、死ぬまで見つからないかも知れないと感じた。
 未来が見えなかった。
 でも生き物とは単純な造りであって空腹が満たされたことにより、気分が落ち着いてきていた。
 苛立ちが少し鎮まって静かな心地がした。
 いろいろぐるぐると考えて、考えすぎてもう厭きてきていた。
 だから己の今後の人生に関わる大問題について、一切解決は出来そうになかったけれど、一つだけ、善いことはあるのだと納得することにする。
 少なくとも、シヤはーーー。
 シヤが、幼く美しいあのこが、自分のために再び暴れてクスリを打たれることはおそらく避けられたはずだった。
 それは文句なしに善いことだろう、とーーー。



 うとうととレグルは眠っていた。
 与えられた味気ない餌だったが、食べたことにより腹が満たされて体が満足したのだ。
 考えることも飽きた。だから何も考えない。
 久しぶりに感じた安らぎだった。
 不思議だったが、出ることの出来ない檻の中で、心が静かに凪いでいた。
 目覚めたとき、体中の力が抜けていた。
 体の隅々まで力が行き渡っていた。
 けれど、空っぽだと感じた。
 清々しいほどの空虚感に満たされた朝だった。
 暗幕が取り払われ、レグルの檻には目映い朝日が降り注ぐ。
 変調を見せないレグルの落ち着いた様子に主は満足したのか、再び暗闇に覆われることはなかった。
 目の当たりにした主の姿に、内心レグルだって穏やかではなかったが、何が出来るだろう。
 レグルは檻の中にいる。
 もし仮に、主が檻の扉を開けて檻の中に入ってきたなら、無駄だとわかっていても牙を突き立て、爪を振るって全力で攻撃をしただろうけど、扉は閉ざされたままでレグルの空間は守られた。
 閉ざされ守られた新しい世界。
 レグルの狭い世界だった。

20160118

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