レグルが目にした光景は、これまで出くわしたもののなかで一番陰惨で醜悪だった。
 それでも目が背けられないほど美麗な光景だった。
 一面に広がる赤。新鮮な命の色。
 そして、白く美しい姿はその赤に染まりながら艶然と笑っていた。
 すぐには理解が出来なかった。
 シヤが全身に返り血を浴びながらもまだ嬉々として引き裂き続けている者の意味も。
 若い女だった。若いシヤよりさらに若い、娘だった。
 大きな血だまりを作る小柄な娘の匂いが、ザフィネのものに似ていて、ザフィネが別人のような血相になっている理由がわかった気がした。 
 きっとザフィネの娘だろう。
「シヤを呼んでくれ、呼んで気を逸らして離してくれ、フィーノが殺されちまうっ、頼むよっーーー」
 シヤはレグルの姿など目に入っていないようだ。
 今のシヤに声が聞こえるものなのかあやしかったが、他に手はなさそうだった。
 檻は閉まっているから、いくらフィーノと呼ぶ娘が心配でもザフィネだって入ることは出来ないのだ。
 だから外から、シヤの気を惹いて、フィーノから興味を逸らせて引き離すしかない。
「シヤ、シヤ、こっちだ!こっちを見ろ、シヤ!ーーー」
 何度か名前を繰り返しているうちに、シヤがふっとレグルを見た。
「シヤ、おいで。こっちだーーーシヤ・・・」
 レグルを見つめ不思議そうに首を傾げていたが、ゆっくりと歩き出す。
 手に持っていた血みどろの肉の塊は、興味が失われて、とさっと床に落ちた。
 シヤはそれを踏みつけてやってくる。
 檻の反対側では、ザフィネがフィーノの名前を小声で必死に呼んでいた。
 大怪我を負っていたがさいわい、意識があるようでフィーノは這うようにザフィネの方に進み出して、ほっと胸を撫で下ろした。
 さて問題は、シヤだったがーーー。
 檻の格子の間から腕を突き入れて、シヤに腕を伸ばしていた。
 そろそろシヤが手を伸ばせば届く距離に迫ってきている。
 レグルは怪我を覚悟して、あえて腕を引っ込めることをしなかった。
 血に塗れたシヤが、新しい肉として気を惹かれているなら何をするかわからなかったが、まあ、それでもいいかと思ったのだ。
 それでなくとも、内部がもうぼろぼろで保たない体だった。
 この際、多少の怪我など平気だった。
 思い存分やれば、気も収まり、正気に戻るだろう。
 シヤが顔を寄せたから、牙を立てるーーー噛むかと思った。
 でも違っていた。
 シヤの柔らかな頬が、レグルの掌に押さえつけられた。
 すべやかで冷ややかで、優しい頬の感触にレグルはぞくりとした。
「・・・レ、グル・・・・会いたかったよ・・・」
 シヤが震える泣き声で言って、背筋がぞくぞくして、レグルはもう一本の腕も伸ばしてシヤの両頬を押し包んで上向かせる。
 泣きながら笑顔を浮かべるシヤに、どうしようなく囚われていることをレグルはひどく心地よく感じた。
「・・・レグル・・・あのね、・・・これは・・・我慢したんだ・・・」
 ぽろぽろと涙を流しながらシヤは話した。
「最初は、ちゃんと我慢していたよ・・・ザフィネが怒るし・・・でも、我慢できなくなった・・・」
「べたべた触るから・・・わたしの体に触るから・・・気持ち悪くて、わたしの場所に入ってきても我慢してあげていたのに、触るなと言っても、言うこと聞かなくて、触るから・・・」
 返り血に染まったシヤは、切々とレグルに訴えていた。
「・・・何度も言ったよ、触るなって・・・でもやめなくて、嫌で・・・とても嫌で・・・」
 不愉快なことを強いられたシヤが怒って、理性を失ったのだと知れた。
「・・・レグルも、怒る?・・・わたしのこと怒るの?」
 罪悪感があり、悪いことだとかわってはいるようでシヤは怯えているのだ。
 敵ではない、おそらくただ番となることを願った娘を引き裂き血祭りにあげておきながら、上目遣いでレグルの表情を窺おうとする、ちぐはぐで幼い仕草にレグルは、首を横に振るしかなかった。
 大怪我を負わされた娘を掻き抱くザフィネが怒りの目で睨んできたが、仕方がない。
「怒らない。大丈夫だ」
 頬を擦り、髪を撫でてやるとシヤは白く喉でグルグルと音をたてながら喜んだ。
「レグルに触られるのは、嫌じゃない。気持ち良くて、好き・・・」
 レグルもシヤが可愛くて、たまらなかった。頭だけでなく体中をまさぐりたくなってくる。
 そんな気持ちを見透かしたように
「もっと触って・・・」
 甘えた声でねだられると、はどめがきかなかった。
 首筋から、肩を、背を滑って、細い腰に至った。
 シヤの雄の印は張り詰めていた。
 血に興奮したのか、容赦ない逆襲を喰らってしまったが、嫌がるシヤを娘が上手く高ぶらせた成果なのかわからなかった。
 主に、そのためにとシヤの檻に入れられた娘が、シヤに性交を迫った。
 娘がシヤを好んでいたかどうか、知らない。
 望んでも望まなくても、自分の意志で入ったわけではない檻から早く出してもらうためには娘はただ与えられた使命を果たすしかない。
 主の意に沿った行動をして、許されるのを待つしかない。
 それが、新しい者たちの生き方だった。
 囲われて生き、産み、目まぐるしい勢いで変化していく新生の仲間たち。
 彼らが自由にその生き方を選んだ結果ではなく、黒髪黒瞳の野生種のレグルが独り切りになって生きているのと同じ、逆らえない強い力に強いられているだけなのだと感じた。
 誰も彼も真に自由にならない。
 美しいシヤは、強い牙と刃を持っていようと檻からは出られず、娘は放り込まれた檻の中で死ぬほどの目に合わせられ、そうまでしてシヤの子を望む主だって、簡単には望むシヤの子は手に入らないわけだ。
 そう考えると、愉しくなった。
 自分が死ぬことだって、世界に蔓延る不自由のなかの一部に過ぎず、嘆くことでもない。
 自由でありながら、不自由な世界ーーー。
 誰も彼もが、自由にならず苦しんでいるーーー。
 主さえもだーーー。
20160118

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