婚約者

力を入れようとすると身体のあちこちが痛んだ。ベッドに横たわっても痛みは消えない。ずきずきと続いて、「肋にひびが入っているの。肩の骨も。しばらくは動いては駄目よ」
泣き笑いの笑顔で、母が言って、父が「熱が続いた。体力も落ちている。きみが生きているのは神様の思し召しだ。感謝しなくてはいけないよ」
神様ーーー。
思し召しだというなら、神様はエリスの家族の願いを聞いてくださったのだとしても、優しくないーーーとすぐにエリスは考えるようになった。
体調は順調に回復し、起き上がれるようになるのに時間はそれほど掛からなかった。
骨はくっついた。
肩も動くようになった。
もう熱も出なかったけれど、肌の損傷は軽くなかった。
新しい皮膚が張って癒えていったが、元通りにはならなかった。
土の間だから覗いた岩が、肉も削った傷は浅くはなく肩のあたりと頬の跡はもうおそらく消えないものだ。
神様は、エリスのこの件に関して、無視してくださっても良かったのだと思った。
エリスは鏡を見なければ見ないですむからいいのだ。自分の失敗が招いたことだったから。
でもエリスの顔を見ないといけない人たちは、エリスを見ると顔を強張らせた。初めの頃は特に、「お可哀想に」と涙ぐむ者たちも多くいて、エリスはどんな顔していたらいいのかわからなくなった。
そのなかで、起き上がれるようになった頃、そうそうに見舞いにやってきたレイドリクスは出迎えたエリスの様子に息を呑み、はっきりと覚えている、震える声で「なんてことをっーーー」、一言だけを残し、踵を返すと帰っていったのだ。
怒りが漲る目だったと思った。
呆れたのだ。そして、腹を立てた。
それもそうだ。自分の許嫁が顔に醜い怪我をしている女では格好が付かないだろう。でもレイドリクスの方が言い出せることではないから、エリスはすぐに父に頼んだ。
お願いだから、許嫁の決めごとを解消してくださいと。
父は動いてくれたのだと思う。けど数日後、父の部屋にエリスが聞いたのは予定外のものだった。
こちらから言い出せば、受け入れて貰えると思っていたけれど、違ったのだ。
「レイドリクスくんは、きみとの関係を解消する気はないと、直筆の書状が届けられた」
呆然となりながら、首を振った。レイドリクスの直筆かどうかなど見たってわからないのだから。
「どうして、ですか・・・お父様?・・・なぜ・・・」
父は穏やかな笑顔を浮かべていた。
「じゃあ聞くが、きみは、レイドリクスくんが顔に怪我をして、傷をひどく気にして解消を求めてきたら、どうするのかい」
「・・・それは・・・」
エリスは言葉を呑む。
レイドリクスではなかったら、傷なんて気にしないと言える。でもレイドリクスだったら、傷が無くても嫌なので、受け入れるーーーとは口に出しては言えなかった。
レイドリクスのローディン家は由緒ある名門の貴族で、レイドリクスは四男だったが、エリスのルルドゥ家に釣り合う名家だった。良家の関係も先々代からの良好なものが続いている。
エリスもそれ以上強く、解消を訴えることも出来なくなって、そのまま何ごともなかったように続いているのだ。
でも、何ごとはあった。
その後、エリスは屋敷に訪れたレイドリクスに、解消を直接頼んだことがある。
二人きりの時だ。そのときに聞いた言葉だった。
「顔に傷を負ったきみを貰おうという男など現れなると思うかい?」
エリスが十四になろうとする頃だった。
レイドリクスは煩わしそうに美貌を歪めて、エリスを見下ろして
「婚約を解消されなかったことをありがたいと思うといい。屋敷に居座り、代も変わった新しいルルドゥ家の隅で、邪魔者扱いされ、一人肩身の狭い思いをしておまえは生きてゆきたいのか?家族に迷惑だとは考えないようだな」

「憐れなエリス。おれがおまえを貰ってやる。予定通りだ。くだらないことを考えず、おまえは素直に従えばいいんだ」

エリスの気持ちは考慮されず、日にちが決まってしまった。
雪降る月に十六になるエリスが最初に迎える花の香る春の一番花々が咲き乱れる頃に式を挙げることに決まった。
わたしはレイドリクスと結婚する。
レイドリクスはわたしの夫になる。
喜びは欠片も見つけられなかった。
嫌だった。やめてしまいたい。でも出来なかった。

レイドリクスが自分を好きでないどころか、蔑んでいるのだ。
そんな人と家庭を持つなど、想像も出来なかった。

だからだから、逃げることを考えた。
逃げられれば、もうそれで言い。
自分を蔑む夫と死ぬまで暮らすなんてーーー死んだ方がきっとましだ。

ーーーわたしは憐れじゃない!

ーーーわたしは貰ってくれなくていい!

ーーー邪魔者になるなら、屋敷から出る、迷惑を掛けない!

ーーーわたしは・・・もういいの・・・。



20151228
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