第七章

9

ぐずぐずなどしていられなかった。
誤解をされる前に、もしくは少しでも怒りを解くために自分の行動の意味を早く伝えなくてはならなかった。
「あんたを探していた。この子を返したくてーーー」
ガーレルの視線はツヴァイなど興味なしとばかりに、ずっとその腕に抱かれているアドリィに注がれていた。
「襲っておきながら、返すのかーーー?」
面白そうな響きに聞こえたが、やはりそれだけではない背筋がぞっとする声だった。
ガーレルは最初に会ったときの快活な陽気さがなりを潜め、丁寧にゆっくりと喋る。それが不気味で怖ろしかった。
「ああ、そうだ。そうすることに決めたんだーーー彼女を受け取ってくれ」
ツヴァイは眠っているアドリィに声を掛けて起こそうとしたが、
「起こさなくていい」
ガーレルはぴしゃりと言うと、両腕を伸ばしてアドリィの体を支えて自分の方へ引き寄せると、胸の中にすっぽりと抱きしめた。
「良かった・・・」
愛おしげに呟いた。
ガーレルは、途中で衣服を調達してきていた。
アドリィの横取りを言いだしてツヴァイに切り倒された男の遺体から剥いだものだった。
竜の居場所を探る魔導具が全く作動しない完璧な人間化がされていることにツヴァイは内心肝を冷やしていた。
竜狩りの道具がどんどん進化して、今や竜どこにいても、たとえ人間に化けていてもわかるようになった。巧妙に化けても逃すことはないーーーという話が大嘘で、竜だって巧みに人間を欺くことが出来るのだという実態に遭遇してしまうと、ツヴァイの中で急速に不安が大きく膨れあがっていた。
人間の力はおろか、研鑽して積み上げた技術もまだまだ通じない、強大な竜という存在が目の前にいた。
人間が竜に立ち向かえるのは数の力が大きかった。一頭に集団で対峙するから勝利だってあるのだ。
でも今は、ツヴァイ一人だった。
そして愛しい者を傷付けられた竜ーーー。
一見、落ち着いて穏やかそうに見えたが、本当にそうなのかーーー。
もし自分なら、大切な者がそんな目に遭わされたら激怒し、許さないだろうと思ったとき、自分は取りかえしのきかない失敗を犯そうとしているのだと気付いた。
怒れる竜の前にのこのこと進み出たのだ。
少女を帰すという目的は終わった。だったら速やかに立ち去らなくてはならなかった。
黒竜が少女との再会を喜んでいる内に逃げるのだ。
黒竜がツヴァイに対して何らかの行動に出る前に、そう命がある内にーーー。
ツヴァイはゆっくりと後ずさる。
一歩、二歩ーーー黒竜はアドリィを見つめるまま顔を上げない。このまま行けるかーーー。
行くーーー。
身を翻して走り出そうとしたツヴァイは一歩も進まないうちに強い力で後ろに引き倒されていた。
襟首を掴まれたのだと知ったのは尻餅を付いて仰ぎ見た黒竜の男の手に、ツヴァイの上着の切れ端が握られていたためだ。
「急いでどこに行く?まだ話は途中だーーー」
竜の少女を大事そうに抱える男の顔には淡い笑みが浮かんでいた。
でも見下ろす琥珀色の瞳は欠片にも笑っていないことを改めて確認するとツヴァイは頬を弛めて応じた。
「そうだな。悪かった・・・考えことをしていて、ついーーー」
こちらも本心からの感情ではない、偽りの笑顔だ。
ガーレルは止めなかったので、ツヴァイは立ち上がり、尻餅を付いて下衣に付いた枯れ葉を払い落とすと再びガーレルと向かい合った。
「竜を狩るのは愉しいか?」
ガーレルの質問にツヴァイの表情が凍り付いた。
「きっと愉しいのだろう、だから続ける。???小さく戦えない者を狙って追い立てるのは特に愉しく、面白いだろうな。それが強者の特権でもあるな」
真っ直ぐにツヴァイを見て、ガーレルは続けた。
「優位さを振りかざしたなら、当然、他者の暴力にも甘んじる覚悟は持っているはずだな?」
問いを投げかけられていたが、返答など要求していない類の質問だった。
甘んじろ、と言う命令なのだ。
「剣を抜いていいぞ。おれを襲ってみるといい、この娘と同じように。ーーーおれを殺したら高く売れるぞ。おれよりも大きな竜はほとんどいない。おれはおまえに富と財産、名誉を与えるだろう」
ツヴァイは言葉にならない思いを少しでも伝えるべく、必死に首を振って否定した。
空気が変わってしまい、その中に身を置くツヴァイの歯の根が強い恐怖感にがちがちと震えて止められなかった。
「ただし、殺せないならおまえは死ぬーーー」
剣を抜きはなったツヴァイは破れかぶれに躍りかかっていた。
逃げるのは無理だ、引き倒されたばかりだった。
倒せるなんて微塵にも思わなかったが、他に打つ手はなかった。
生きて返りたいから、どんな薄い可能性だろうと掛けるしかないはずだろう。
一撃は受けとめられていた。
ガーレルはツヴァイの渾身の攻撃を、剣身を掴むという荒技で封じたのだ。
剣の自由を取り戻そうとして力を込めたツヴァイの前で、鋼は握りつぶされて地面に落ちていった。
ガーレルの手から外れたので引き戻せたが、細くはない得物の切っ先は半ばからなくなってしまって使い物にはならなくなっていた。
視力は黒竜の動きに追いつかないのだ。剣を砕いた手に喉を握られてからツヴァイはその事実を思い知らされた。
「ーーー己の行動が引き起こした報いだ」
憎々しげな言葉がツヴァイの耳に届いた後、喉笛を潰す万力が加えられてーーー。
憎悪と悪意。
死の苦痛と絶望の中でツヴァイは、奇跡を聞いた。
それは救いの声だった。
「ガーレル?・・・なにをしているの・・・」
力が弛み呼吸が出来るようになり、空気を求めて喘ぎながらツヴァイは涙の滲む視界で黒竜の男に抱かれている少女を見やった。
意識のなかった少女が目を覚まして、不思議そうにガーレルと呼んだ男の顔を覗き込んでいた。
「眼が赤い・・・どうしたの・・・?」
「・・・赤い?・・・そんなことはないぞ・・・おれの目の色はーーー」
「あれ・・・ごめんなさい、赤くない・・・見間違えたみたい・・・」
目を覚ましたばかりで少しぼんやりとして本調子ではないアドリィはもう一度繰り返した。

20170917

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