第七章

8

それ以上交わす言葉を見つけられず、ツヴァイとアドリィの間には沈黙が続いた。
利き手には剣を、反対の腕にはアドリィを抱えてツヴァイは森の中を急ぐ。
ツヴァイが知る限り、最低でも三つの隊が森に入り込んでいるはずだった。
横の繋がりはないから、他の隊がどうなっているかは知らない。
ツヴァイはそれほど良い魔導具を持っておらず、魔術師でもないので竜の居所は漠然としかわからなかったが、それでも竜のすべてが生きていることだけはわかっていた。
狩りは皆、どの隊も失敗したことになる。
それが、嬉しく感じてしまうことにツヴァイは苦笑した。
勝手なことだった。一番成果が見込めた隊がツヴァイたちで、囮を使ってまで捕らえた竜を運びだそうとしたが、裏切りが起こってしまった。
結局のところ、一番の裏切り者はツヴァイ本人だろう。
それに関しては多少良心が痛んでいた。でも、黒竜の大切な竜を殺してしまうことに対する良心に比べれば、微々たるものだった。
この先、生きて戻ってきた仲間にばったり出会ってしまうことがあったら大変だろうなあと感じるが、その程度のものだった。自分の予定を変えるつもりはなかった。
走るツヴァイの心は、横取りを提案される前とは別人のように軽かった。
少女を黒竜に返して、森を出るのだ。
森を出て、息子の住む家に帰る。
そうすれば、息子の具合は良くなり、ツヴァイの家族は助かるのだ。
もう少し。
あと少しのところにまできているのだ。
良心の呵責から解放され、未来への希望に胸を膨らませるツヴァイは、この夢のような展開に喜びすぎて、あることをすっかり失念していた。
それは黒竜についてだった。
簡単に、竜の少女を黒竜に返すのだとは言うが、アドリィはそれまでされた暴力や惨い所業を責めず、素直にツヴァイを信じた。
人間に対する怒りと憎しみ、恐怖感も腹の底に沈めて運命をツヴァイに委ねる決断をしてくれた。
素直で優しい竜の少女だった。それまで苦しめられた人間に向ける彼女の対応は、奇蹟的ですらあった。
でも、黒竜はーーー。
ガーレルはーーー。
ツヴァイの心に急に不安が込み上げていた。
他でもない、大切なアドリィを傷付けた人間の一人に対して、黒竜がどんな態度に出るかは未知数だった。
ツヴァイは実のところ、アドリィへの攻撃を行ってはいなかった。剣を抜いて、戦う振りをしてはいたが、直接的な攻撃はしていないし、アドリィを傷付けてはいなかった。出来なかったのだ。
でもそんな理屈が、人間を嫌っているガーレルに通用するだろうか。
アドリィは、ガーレルのことを優しいと誤解しているから、再会にも一切の心配はしていないのだ。ただ本当にもう一度、新たな妨害に遭わずにちゃんと会えるかという不安だけで。
ツヴァイが人間を避けるように大回りをしつつ、黒竜を探そうとしていた頃、
ガーレルはアドリィを追いかけて走っていた。
激しい負の感情に呑み込まれたものの、シルドレイルの助力で我を取り戻していたが、やはりガーレルにあるのは長年募らせてきた人間への怒りの憎しみだった。
ガーレルが生きてきた短くはない時間の中で、多くの多くの竜が、仲間が人間に狩られて殺されてしまった。
他竜との深い付き合いを避けてきたガーレルだから、仇討ちを望むほどの、絶望や悲嘆にくれるような別れを味合わずにはすんできた。
しかし、情報として仲間の死は耳に入る。北の洞で暮らしていた若い雄が狩られた、各地を廻っていた御老体が人間に殺られた、南に岩地を住処にしていた幼い兄弟が捕まって、気付いて街に助けに向かったときには剥製にするために肉を抜かれていたーーー。
静かに音もなく、でも確かに心に降り積もって堆積した悲しみは、ガーレル本人は無自覚でも、深く染みついて、決して癒えることはないのだ。



アドリィは疲れてぐったりとしていた。
命運を託すしかない人間のツヴァイの胸にもたれて、意識は朦朧させていた。
痛みがあった。体のあちこちがずきずきと痛んでいた。
人間の姿に変わっても傷が消えることはない。でも尾は、人間にはない器官だった。竜の尻尾がぶっつり切断されていても人間に化けたときの損傷にはならない。
でも体の一部がなくなったことが帳消しになるわけはなく、影響は体力や気力といった内在する力に現れる。
体に力が入らなくなったり、元気が無くなったりだ。
竜には体を再生させる能力があり、体力があるなら余程の傷でなければ再生可能だとしても、体を失ったダメージは大きい。体の一部を奪い取られて消耗し、体を再生するために体力を使ってさらに消耗することになる。
竜だろうと、損傷した組織の断面が大きく壊れてしまったら再生できないことがあるし、傷が上手く癒えず、化膿の末、腐らせてしまったらそのまま弱って死んでしまうことになる。
だから体の損傷は一大事だった。
とりわけ小さく体力のないアドリィにとって楽観視できる事態ではないのだ。
体が辛かった。
だるくて、重い。
指一本動かすのも苦痛だった。
でも、生きていた。
殺されることなく、ガーレルの知り合いの人間に助けられて、どこかへ連れ出されることなく森にいられた。
アドリィの心にあるのは大きな満足感だった。
人間と戦ったのだ。
空も飛んだ。
精一杯戦った。負けてしまったけどーーー。
でもこれだけのことが自分にも出来た喜びに、よい気持ちに包まれながらアドリィは意識を失った。
ツヴァイは竜の少女が動かなくなったのに気付いて慌てたが、鼓動があり呼吸をしていることに安心して移動を続けた。
ツヴァイが警戒していたのは人間だった。腕の立つ男が五人もやってきて、少女を渡せて言われたら守り抜く自信はなかった。
だから絶対に出くわしてはならない。
少女だけでなく、自分も一巻の終わりだった。
逃げなくてはならない。安全なところまで、そして黒竜にーーー。
でもどうやって黒竜の男と会って、少女を渡せばいいのか、そして、もしかしてこっちもかなり危険を孕んでいるのではないだろうかという、考えることを先送りにしていた問題に直面せずにはいられなかった頃だった。
ツヴァイの前に、黒い影が突然現れ、立ち塞がった。
ツヴァイは驚いてとっさに跳び退っていが、目の前に立つ大柄な男が一度会ったことのある色男であることに気付いた。
「・・・黒竜の旦那ーーー」
上擦った声をになったツヴァイの一方で、人間の姿に戻ったガーレルは低いが、穏やかな声音だった。
「また会ったな。その節は世話になったーーー」
口元に淡い笑みさえ浮かんでいたが、それが決して友好的ではなく、内側に物騒なものを隠していると感じたツヴァイは全身の血の気が引く思いに囚われていた。

20170910

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