第七章

4

驚いたツヴァイが周辺を見回し、横の男に倣って頭上を見上げた。
竜の保護区で長年、手つかずの森には空を付くような大木が生い茂っている。
緑の隙間に覗く青空を見つめていると、大きな黒い影が過ぎって飛んでいった。
竜の中でも特大サイズに黒竜が、肉厚な巨体を宙に浮かべ、かなりの勢いであたりを旋回していた。
黒竜は、囚われの竜の場所を正確に掴んでいての行動だった。
「ギャオオオーーーーーーンッ、ギャオオオーーーンッッッーーー」
世界を震撼させる雄叫びは怒りであり、威嚇だった。
闇の精霊使いの黒竜、闇竜王。
精霊の中でも四元素精霊とは桁の違う凶暴な攻撃を繰り広げるのが闇霊だった。
精気を奪われ昏倒させられるのは序の口で、生気ーーー触れた者の命を削り取り、即死させることもある。
また精神を狂わせて自刃させたり、同士討ちをさせるといった屈折した効果を生み出すことも多い。
凶悪で悪辣ーーーでも今は、竜を連れているから、その竜にまで被害の出るような闇霊を使った攻撃はしてこないだろうと踏んでいたが、だからと言って、安心できるわけではない。
元々、闇に選ばれる竜自体が決まって当代一、二を争うような大きな竜だった。
目の前の竜も、軽やかに空を舞っていることが信じられないような巨大な竜だ。
体が大きいなら、力も強い。
そんな竜が地上に降り立って暴れ回られたら、人間など逃げる隙なく跳ね飛ばされるか、踏みつぶされるか、もしくは噛み潰されて跡形も残らないだろう。
竜はどっしりと大型でも、とてつもなく素早く走るから人間が全力で走ろうと逃げ切れる相手ではなく、竜王と呼ばれる竜の鱗は抜きんでて堅く頑丈であることは想像が付き武器も刺さらない。辛うじて傷を付けられたとしても竜を止めることはおろか、より怒らせて自分の命を縮めるだけとなる。
だから、人間たちはこう考えた。この竜を地上に降ろしてはならないーーー。
木々が密集しているため、黒竜は下りられず空を旋回しているのだ。
勿論、強制的に空き地を造り、下りることも容易いはずだったが躊躇っているようだった。
おそらく、この地は自分の領地ではないから、黒竜は乱暴な破壊ができない。
それを逆手に取った作戦が立てられていた。
竜の警戒役に就いていた男たちが武器を握り締めた。
主に槍や弓の飛び道具で、木立の陰から黒竜に攻撃をしかけた。
武器は竜に届かず、傷一つ付けられなかったが攻撃を受けて黒竜は怒りの声を上げた。気を引くことに成功したのだ。
黒竜を倒せるなどと考える者は誰もいなかった。倒さなくてもいい。目的はただしばらくの間、気を引く事だ。
その間に竜の担架を運ぶ者たちが一目散に走って逃げる。その隙を作るだけで、竜が降下して近寄ってきたら攻撃隊はちりじりになって必死になって逃げ、距離を空ける。
逃げながら、隠れながら、攻撃を繰り返す。
黒竜を刺激して興奮させて、仲間の竜の救出を忘れさせて、その間に大切な商品である竜を乗せた担架を遠くに逃がすという算段だった。
だから頃合いを見計らったリーダーの男から後ろ手に、ツヴァイたち担架運び係に、行けという合図が出た。
作戦を感じとった担架係たちも、指示を受けてすぐに走り出した。
大きな黒竜はとても怖ろしい。でも今更こんなところでは絶対に退けないと誰もが思っていた。
珍しく貴重な竜を是が非でも金に換えたいのだ。
捕らえた竜をなんとか森を抜けさせて、そのあとは自分たちも逃げる。全力で逃げる。
もし上手くいったなら、きっと人生はがらっと変わるだろう。
一攫千金を夢見る男たちにとって、そんな、もう一度出会えるとは思えない大きなチャンスをみすみす捨てることなど出来るはずがなかった。
こうして人間たちは二手に分かれた。
ガーレルは当然、すぐにアドリィを追いかけたかったが、こんもりと繁った緑の下を鼠のように走って逃げる人間を追いかけるには、小回りの利かない大きな体がとても邪魔だった。
それに、やはり道草した際に、もうずいぶん森を壊したのでこれ以上はなるべく避けたかった。あまりやると、シルドレイルの機嫌が大変なことになりそうだった。
そして、目の前をうろちょろして進路を妨害する人間共がとにかくうるさい。
ガーレルにも、攻撃より防御、回避行動中心の彼らが、アドリィから遠ざけるためにやっていることだとはわかっていた。
竜の体は小回りが利かないーーー。
大きすぎて降り立てないーーー。
なら、変えればいいのだとガーレルは考えた。
姿を変えるのだ。この状況に相応しい姿に。
ーーー人間?
いいや、もっと遥かに膂力があって頑丈な、戦いに適した姿があった。
驚くがいい人間共ーーー。
ガーレルは低空に下りた際、鼻先に武器を振り回されて再浮上し、しばらく空中に留まっていたが、その黒い鱗に覆われた大きな体は人間たちが見つめる中で、ぐにゃぐにゃと波打ち始めた。
険しい目で竜を追っている男たちは、目の前で起ころうとする変化を言葉もなく眺めた。
空中に浮かぶ竜の体がどんどん萎んでゆくのだ。
萎んで、縮んで、瞬く間に見る影もない大きさーーー人間ほどのか細さ、体付きになっていた。
小さな頭部に肩、両側に伸びる腕。胸筋が盛り上がる広い胸に続く引き締まった腹。
空中に直立するそれは、両脚を備えていた。人間と同じく二足歩行をする生き物だとはわかったが、竜が変身した者は人間ではありえなかった。
一見二本の足で歩く人間だったが、その臀部からは黒くて長い尾が伸びていた。
黒い理由は、小さな黒光りする鱗が竜の体のように表面を埋めているからだと想像が付いた。
そして、その黒い鱗は尾だけではなく、全身を鎧のように覆っている異形の生き物だった。
竜たちは普通、この姿になることを嫌っていて、人目に晒さないので、男たちはガーレルの姿に度肝を抜かれていた。
人間ほどに小型化はしているが竜の鱗が全身を覆うその生き物は、変身を完了すると、どんと地上に落ちてきた。
落下ではない。下りてきたのだ。

20170813

前へ 目次 次へ