第七章

1
アドリィの危機に、竜の姿に戻ったことは憶えていた。
黒竜に戻って飛び上がった。
竜に戻る途中の小回りの利く姿で地上を走っても良かったのだとあとから気付いたが、普段あまりやらないこと思い出すような余裕は無く、ガーレルは夢中で黒竜に戻った。
そしてキリングに見送られーーーぐずぐずしないでと、追い立てられるようにアドリィの元を目指した。
意識の中では遠視でアドリィの様子を見ていた。
人間たちがアドリィを追いかけ、アドリィは懸命に逃げていたが、逃げ切ることを諦めると果敢に違う選択に打って出る。
逃げるのをやめたアドリィは、竜に戻った。
ガーレルの心がじくりと痛んだ。
竜に変わった、その行動の意味することとはーーー。
答えは一つだろう。
逃げるではなく、戦うことを、アドリィは考えた。
人間たち相手に、小さなアドリィは戦うことを決意した、彼女に強いたのだっーーー。
身勝手な人間め、とガーレルの中に怒りが膨れあがっていた。
心臓が締めつけられるように苦しい。
体中の血が沸騰したように熱くて、内側から灼き爛れてゆきそうだった。
怒り、そして憎しみ。
憤怒、憎悪がどろどろと渦巻いた。
どうしてーーー。
おれたちは人間を面白可笑しく駆り立てるような真似をするだろうか!
全く無いとは言わない。ときには巫山戯ることもあるが、これほど執拗に、目の仇に追いかけ回し殺すなどない!
それなのになぜ、竜はこんな目に合わされるのか!
ーーーアドリィ。
いったい、あの子をどれほど苦しめたら満足なのだっ。
生まれたばかりの子竜は目覚めもままならない頃に巣を襲撃され、母を殺されただけでなく、連れ出されて檻の中に入れられ、独りぼっちで長い時間を生きてきた。
痩せて小さい姿のままなのは、天恵というだけでなく、その後の劣悪な生活を強いられてきたこともあると思った。
ボロ布のような衣を着せられ、傲慢な人間の好奇な目に晒され続け、食べ物もまともに与えられず狭い場所に閉じ込められて生きてきたのだ。
そんなアドリィに気付いてやれて、助けられた。外に出して自由に、やっと普通の生活を送れるようになっかばかりだというのに、その彼女を狙うあざとい人間共ーーー。
ガーレルが抱くのは、盗み出された竜を取り戻すのだという人間の言い分とは対極にある思いだろう。
見世物小屋の店主は金を出して購入したのだから、竜は店主の持ち物であるーーー。
母親を殺されて、攫われた子竜たちの生き残りが見つかった。せめて末っ子のアドリィだけでも助け出してやりたい、他の子らの分もたっぷりしっかり命を繋いで人生を謳歌して欲しいーーー。
両者が、自分こそが正当だと信じて疑わない行動だった。
当然と言えば当然だろう。相容れない多種族より、己の生活だった。
竜などのことより、自分たちの社会であり、人生であり、夢であり、富なのだ。
竜にだって言えることだった。
人間の生活など知ったことではない。
ただ、自分たちにとって、次々に狩られて減ってしまった数少ない同胞たちが生きるため、生き延びるために出来ることをしたい。
それは、殺される前に竜が人間を殺すことだろう。
無駄だと言う奴がいるが、本当にそうだろうか。やってみてもいないのになぜわかる!
ーーー殺して殺して、殺し尽くす。
絶滅に追いやるほど葬ってやる権利だってあるはずだった。
そう、竜がされてきたように、やり返す権利ーーー。
復讐する権利ーーー。
ガーレルの心が激情に呑まれた。
力の及ばない竜たちを殺すなら、虫けらの如き奴らにはおれに殺される義務があるだろうて!!
「ギャオウ、グガオオンンンンッーーー」
黒竜は憎悪を吐きだすように大きな声で咆えた。
森全体に轟く叫び声だった。
このあとのしばらくの間の記憶は、ガーレルには残っていないのだ。
自分がどこに向かい、何をしていたのか、憶えていない。
激しい憎しみの中でガーレルの目の前が真っ赤に染まった。血色の視界に心が熱狂した。溢れかえるような血臭、流血を欲した。
人間共に血の償いをーーー。
暗い使命感に囚われたガーレルはアドリィの姿を見失ってしまっていた。
でも視えなくなったことも気付かない。愛情も、心配も、失ってしまうのではという恐怖感もすべて忘れて、内にあるのは体がばらばらになりそうなほどに激しい憎悪、殺意だけとなった。
ガーレルの中で、目的はアドリィを助けることではなく、かねてからの憤懣を今日こそは人間にぶつけてやること、森の中に入り込んだ人間共をすべて殺し尽くすことにすげ替わってしまっていた。
空を飛んで移動していた黒竜・ガーレルは眼下の森の木立の陰に潜む人間の姿を見つけた。
アドリィを追っていた者ではなく、ディーメネイアたちを狩ろうとして失敗して逃げ出したハンターたちだった。
『殺すーーー』
血走った赤に目を染めた黒竜は風を切って急降下していった。



黒竜の異変はすぐに竜たちに伝わった。
シルドレイルだけは、それが暴走であることを理解した。
理由もすぐに探って理解した。
いつの間にか入り込んでいた人間たちにアドリィが追われていることだろう。
闇の精霊が活発に蠢く気配を感じていた。だからガーレルが動いたことはわかっていたが、目の前のことについつい夢中になって放置した。
苦戦ではない、熱中だったのだ。昔年の恨みがある人間の相手をすることが心の底から愉しくてーーー。
20170723

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