第六章

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でたらめな攻撃だった。精霊契約をする竜王でもない小さな竜が精霊を操っているのだ。竜に対する知識を持つ男たちにとって、常識を覆すような事態だろう。
しかも複数の精霊を同時にだった。
風に、水に、火ーーー。
火は人間の衣類に触れた時点ですぐに掻き消えたが、それはこの森が水竜王の支配下にあるからだと悟ったツヴァイは、もう一つの力の存在を疑い、そして気付く。
それまで目に見える攻撃のなかった土の精霊だった。
足元の異変、足がいきなりずぶりと、くるぶしまで地面に沈み込んだのだ。
ぬかるんでもいない草が覆う堅い大地が人間を襲い出す。
樹木や岩はそのままに、人間だけを地中内部に呑み込むとしているのだと感じて慌てて足を引き抜いた。
小さな竜を中心に、あたりはまるで沼地と化していた。
どこまで沈むのか想像のつかないから不気味だった。あちこちで悲鳴があがり、幾人もの男たちが血の気の引いた顔で後退していった。
竜ーーーアドリィは静かにたたずみ、人間たちの様子を見守っていたが、距離が空いて襲ってこないとだと確認すると自身もゆっくり動き出す。
翼を下ろしても風は止まず、アドリィを中心にして吹き荒れていた。
アドリィが命令したわけでない。ただ精霊たちがアドリィを助けようと働いていた。
アドリィにはっきりとした戦い方がわかっていたわけではないのだ。
無我夢中で、必死。
戦うのだという気持ちに、精霊たちが呼応し力を貸した。
アドリィの小さな翼では人を吹き飛ばすほどの強風など生み出せやしないのだ。
でも、そもそも竜たちの翼は膂力だけで空を飛ぶわけではない。
契約をしなくても、竜は風の精霊を操ることができる。
翼を持つ竜たちは風の精霊ととても相性がいいからだ。
風の精霊は空を統べる主として竜を認めているから、竜は空を飛ぶことが出来るのだ。
だからアドリィだって飛べる。その意志があり、ちょっとしたコツさえ掴めば。
翼に風を集め続ける体力さえあればーーー。
再び翼を広げた竜が、首を伸ばし天を見上げた。
空を望み、翼は虚空を掻いた。繰り返しているうち、小さな竜の体はふわりと地面から浮き上がっていた。
懸命だったが、どこかぎこちない羽ばたきにもかかわらず、高度はどんどん上がった。
逃げるなら空だと考えたのだ。
人間は飛べないから。
人間がやってこない空の高みに避難すればいいのだと考えたアドリィは、決して間違っていたわけではない。
でも気をつけなくてはならないのは、飛び道具だった。
人間は飛べない。だから、空へ逃げようとする竜の習性を知っている人間たちは手段を考え抜いていた。
アドリィの周りに付き従う精霊たちもアドリィと一緒に地上を離れつつあるから、ハンターたちを苦しめる力が薄れてゆく。
風が弱まり、足下の感触も確かな物に戻ってきていた。
余裕を取り戻した者たちはすぐに反撃に転じた。飛び去って逃げようとする竜に一本の弓矢が放たれた。
別の方向からも続いた。
飛翔する竜に講じられたあらゆる対策がアドリィを襲った。
軽い矢は通らなかったが、重く鋭い投げ槍は風霊を貫いていた。
アドリィに防御の意識があったら、槍は跳ね返されていただろうけど、如何せん経験不足だった。
研ぎ澄まされた鉱石の切っ先は、アドリィの鱗を割って突き刺さっていた。
竜のために作られた特注の刃は竜としてはまだまだ柔らかなアドリィの体に次々とめり込んで、激しい痛みに襲われたアドリィは悲鳴をあげた。
でも気持ちはまだ折れていなかった。痛みを堪え、空を目指して翼に力を込める。
このまま飛び去る。逃げる!
人間から逃げるのだ。
逃げて、空でガーレルを待つーーー。
力が抜けてゆく中、アドリィは精一杯翼を羽ばたかせたが、目指した高みに到達することが出来なかった。
それどころが、じりじりと地面に引き寄せられようとしていた。
体に打ち込まれた槍にはワイヤーが結びつけられていたからだ。
人間たちはワイヤーを引いて、竜を墜落させようとしていた。
アドリィの力は、アドリィを捕らえる力をはね除けられるものではなかった。
弛めては引くを繰り返して竜を疲労させたあと、タイミングを計ってハンターたちはすべてのワイヤをーを総出で引いた。
小さく弱った竜は地面に為す術なく墜落した。
地表にぶつかって、再び悲しげな声を上げた。
そのあとは残りの力を振り絞った地上戦だった。
狩られるか、逃げ切るかの最後の戦いに挑むべく、アドリィは落下の拍子に打ち付けて痛む体を押して立ち上がって、身構える。
体に刺さった槍は、一本は墜落の拍子に抜けていたが、二本は突き刺さったままでワイヤーも体に巻き付いて自由を妨げていた
目の前には武器を手に立ちはだかる人間たちーーー。
アドリィは間髪入れず突進していた。右手縁にいた体勢を整え切れていない、隙のある若者が標的だった。
小柄でも、普通じゃない精霊を纏った竜だと警戒する男たちは飛び退いて逃げたが、アドリィが狙いを付けた若者は反応が遅れた。
気配の異変に顔を向けたときには竜は彼の眼前にいた。
「ひぃーーー」
悲鳴はすぐに消えた。
アドリィは若者の喉笛に喰い付いていた。
体の大きな竜であれば、即座に噛み砕いただろうがアドリィには難しい。
だから噛みついて口に咥えたまま大きく首を左右に振った。
若者の体は振り回され、自分の体重と勢いの力を加えられて、竜の口から外れたときには首筋はぱっくりと齧り取られていた。
鮮血を吹きがり、ぐったりと動かなくなった相手にはもう目を向けず、竜は次を目指す。
横から近づこうとした男には体当たりして、背後に回った者には尾を鞭のように振り回して威嚇する。
暴れ出した竜にハンターたちの顔付きが険しくなっていたが、竜は生け捕りにすることが決まっていた。
あまり傷付けて殺してしまわないようにすることは、彼らにとって殺すより用心が必要だった。
こんな小さな竜では力加減を間違えるとうっかり殺してしまいそうで、でもあまり舐めすぎると、一応竜だった、自分たちの命取りとなりそうだった。
現に一人が戦えなくなっている。あの傷ではおそらく助かりはしないだ。
意を決した髭面の男が戦斧を掲げて、竜にそっと近づいてゆく。
前に並んだ男たちに立ち向かうべく気をとられていたアドリィの隙を突いて、斧は大きく振り下ろされていた。
「ギャウウッーーー」
斧が狙ったのは、うねうねと動き回る竜の尾だった。
再生機能の優れた竜の体の中でも尾は特に早く再生することは周知だったし、切りやすかった。
その上、尾の切断は竜の体力や集中力、士気を下げる大きな効果があり、そのあとは断然戦いやすくなることもよく知っていた。
一撃で半ばから尾を失った竜???アドリィは苦鳴に咆え、襲われた痛みと衝撃に我を忘れるほど慌てた。
もう攻撃どころではなくなってしまっていた。
逃げなくては、殺されるーーー嫌っーーー。
恐怖に取り憑かれ、冷静さを失ってしまった小さな竜に、ハンターたちはほくそ笑んだ。
逃げようとして暴れるだけになった竜を、人間たちは取り囲んだ。
残った体力を削ぎ落として大人しくさせるために、銛が次々に打ち込まれ、いくつもの穴を開けられた体中から血を流す竜は、しばらくは唸り声を上げて威嚇していたが血だまりが大きくなるにつれ、動作は緩慢になり最後には小さく蹲ってしまった。
動かなくなった竜の頭を目掛け、斧の背が打ち下ろされると、アドリィは完全に動けなくなった。



20170716

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