第六章

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何本もの銛を突き立てられ、ワイヤーを張り廻らされたキリングは身動きを封じられていた。
ワイヤーに加わる力に、人間たちに引き倒されずに立っているだけで精一杯の状況に陥っていたが、キリングの闘志はまだ折れていなかった。
逃げ出せない危機に、自分の生はここまでだと感じていたが、それならそれでやることがある。
いつか、自分にもこんな日が来ることをキリングは予想していた。
キリングだけではない、生きている竜たちはみな、考えたことのある未来だろう。
それがたまたま、今回自分のところにやってきてしまったようだ。多くの仲間たちを喰らっていった死の顎だった。
想像はしていたけど、悔しい。ひどく腹立たしいーーー。
はね除けられない自分が無念だった。
こんな思いを少しでも晴らすためにすることとは、死を呼び寄せた人間たちを精一杯を葬るのだ。
少しでも多く、大人しく死んでなんかやらない。
残った竜たちが少しでも楽になるように、力を尽くす。
体中を切り刻まれようと、首を落とされようと、肉片になるまで人間を襲い続けてやる。
それがキリングの誇りだった。
四肢を踏みしめ立つキリングの横っ腹に激痛が走る。
剣を突き立てられた竜はすぐさま首を廻らしたがそのときには反対側の腹と肩を襲われていた。
キリングの自由はワイヤーに奪われ続け、反撃も届かない。傷付けられようとしていても逃げが打てないのだ。
されるがままに傷を負わされ、血を流し、徐々に体力を奪われていった。
人間を道連れにすることも出来ず、キリングの心に初めて絶望が広がった。
ああ、竜はいつからーーー。
人間の前に、こんなに非力な生き物に成り下がってしまったのだろう。
武器を跳ね返すはずの鱗を割られて、尾の一振りで薙ぎ倒すはずの人間に押さえ込まれ、八つ裂きに引き裂かれようとしている。
悔しかったはずなのに、どんどん増す体中の痛みに晒されたキリングの気持ちは不思議なことに静まっていった。
負けだった。
完全に負けた。もう出来ることもなかった。
姐さん方、蒼竜王さまーーー。
そして、新しい小さな友と、馬鹿竜王さまが少しでも長く生きてゆけられますようにーーー。
キリングが願ったときだった。
『伏せてじっとしていろ。動くなよ』
脳裏に強く響いた声が、黒竜・ガーレルヴァルグのものだと驚いた同時、キリングは弾かれるように言葉に従って地面に体を倒した。
意味がわからなかったけど、夢中で従っていた。
次いで、視野の隅、青空の中に浮いた真っ黒な染みを見た。
黒色は翼で風を切って近づいてくるのだ。
巨体が備える大きな翼を羽ばたかせ、頭上にまでやって来て地上を見下ろす黒竜に人間たちは顔色を無くし、慌てふためいた。
黒竜は仲間の竜の助けにやってきたのだ。
おそらく街を襲った竜、そして竜の中で一番厄介な闇竜王だった。
葛藤が走る。
手中にほぼ収めたと思っていた得物を諦めるのか、それとも戦うかーーー。
ハンターたちが選んだのは、おめおめ諦めたりせず、もう一頭とも戦う選択肢だった。
決死の覚悟を固めた血走った視線が宙に留まる黒竜を射落とさんばかりに睨めつけた。
空に浮かぶ竜を狩るには地面に落とす必要があった。槍や弓を手にした男たちが無言に前に進み出ると、構えて狙いを定める。
地面で動かなくなったキリングは、弱ってもう立ち上がる力もないと判断して放置し、人間たちは新たな得物である黒竜に向いていた。
『おれも狩るつもりだとは舐められたものだな。おまえを置いて大人しく逃げ出せば許して追うつもりもなかったが、これではそうはゆかんな。身の程を弁えない罰だーーー』
キリングに向けた言葉でありながら、途中からは愉しげなガーレルの独り言をキリングはゾクゾクと体を震わせながら聞いた。
得体の知れない感覚に背筋が震えていた。
これを気付かないなんて人間は馬鹿だと感じた。
黒竜の登場から、あたりの空気が歪みを孕んでいた。
シルドレイルの命を受けた水霊が森全体をすっぽり包んでいたが、これは、ここを支配しているのは闇だった。
闇の竜王であるガーレルヴァルグが闇の精霊を呼び集めている。その影響で異質な空気がこの一帯を占めているのだ。
ねっとりと重く、深く饐えた蜜のような感覚。これを一言に表現するなら、キリングは、言い知れない恐怖だと思った。
呑み込まれて粉々に消えそうで怖い。
迎えようとしていたはずの死よりも、怖いのだ。
助けられているはずなのに、どうしていいのか、本当に言われた通りじっと伏せていいのかわからなくなり、立ち上がって逃げなくてはいけないのではと考えたときだった。
『動くなよーーー』
黒竜の咆吼が鼓膜をつんざいた。
「ギャオオオオオーーーンンンッーーー」
愉悦に満ちた哄笑だと感じた。
キリングは見た。
何度も繰り返される吠え声と同時に、黒竜は真っ黒い炎のようなものを口から放っていた。
地上に向けて吐きだされた揺らめく物は闇そのものだった。
黒竜の口から出たそれは、地上に到達する頃には大きく膨張し、逃げ惑う人間たちを次々に呑み込んでいった。
半透明の黒い球体に包み込まれると激しく体を痙攣させ、一瞬後にはばたばたと倒れていく。
目を見開いていても意識はないのだ。
黒竜の放った球体の一つが人間を外れ、キリングの上に振ってきた。
キリングも慌てた。それは人間の武器どころではないと感じたからだ。もっと遥かに危険で怖ろしい。黒竜王の生み出す闇に触れることに恐怖して、引き手が不在となって弛んだワイヤーを必死に引きずって這いだしていたが尻尾の先が間に合わなかった。
20170611

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