第六章

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森の隙間を埋めるように現れた黒竜が風を捲いて空に飛び上がった頃、蒼竜は灼熱の炎に包まれていた。
肉を焼くのも大変とヴァルネライラに言わしめた水の竜の森、その主たるシルドレイルの体から一瞬で天を突くような激しさで燃え上がった火は、勿論、自然のものではなかった。
特定の精霊の加護を受ける竜王は、それ故に弱点を持つことになる。
精霊が相反する属性を嫌うから、そのまま竜の弱みとなることは人間にも広く知れ渡った事実だった。
堅い鱗を持つ竜が武器を跳ね返すなら、武器以外のあらゆる攻撃方法を合わせて取り組もう。
竜王と呼ばれる抜きんでた存在なら、特に特殊な魔術による攻撃を仕掛けようとするのも昨今の傾向だった。
ただし、魔術を操れる人間はとても少なく、魔術の才能がある者は身分を問わず子供の頃から国の研究所に集められる。
強制的にお国のため、才能の開発と魔術の研鑽に従事させられることが常なので、狩りをするような集団に入ることはさらに珍しかったが、どこにでもはみ出し者はいる。
研究所を首になったのか、親が子供を役人に引き渡さず守り抜いたのか。
それともハンターたちの提示する破格の給金を前に、窮屈な生活などまっぴらだと自ら研究所を抜け出してきたお尋ね者のような魔術師もいたが、今回は竜にとって一番質の悪い魔術師だったようだ。
つまり研究所で能力を磨き、術の使い方をよく知っていて威力も抜群に発揮させる男、おそらく脱走者だろう。
そして男は、この生活ももう短くはない。研究所勤めのひ弱さはなくそれなりに体を鍛えていて、日焼けもしている。
ハンターとして十分、生活をしている強敵だった。
そんな男が持てる最高の火術を行使して、シルドレイルを襲っていた。
轟々と燃える火柱に包まれた水の竜の姿は炎の奧で揺らめいた。
熱風も凄まじくて側にもいられないような威力を目の当たりにして退避しながら、早くも色めきたつハンターもいた。
竜の動きが止まっているのは術の威力に為す術なく、ただ立ち尽くすだけしかないのだと考え、だったら竜王などとは名ばかりで逆に弱点のない並みの竜狩りより楽じゃないかと感じた。
燃えさかる水竜王ーーー。
珍しい蒼色の鱗を備えた巨体はそのまま得られる富の大きさだった。
人数割りをし、安く見積もっても夢のような大金と名誉が転がり込んでくることは間違いないはずで、あとはせいぜい盗まれないように気をつけることが大切ーーー。
甘い夢を見ていた若い男は、すぐに悪夢以外の何物でもない現実を知ることになる。
笑みを浮かべる新米ハンターの目の前から勝ち誇るように燃え立つ炎が一瞬に消えた。
忽然と消えたそこには、蒼い竜が無傷で立っていた。
火など燃えていなかったように、竜にもあたりの草木にも焦げ痕は一切なかった。
ハンターたちは幻を見たのかと呆然となっていたが、幻などではないことを誰よりも理解しているのが、魔術の呪文を唱え続ける魔術師だった。
魔術は変わらず発動しているのだ。蒼い鱗の表面にときどき緋色が走る、それが証拠だった。
術を上回る力が、炎を圧し潰しているのだと悟った術師の顔は次第に強ばり青ざめゆき、ついには忙しなく動いていた唇の動きも失ってしまった。
首を廻らした竜の氷のような目が見下ろすのは、他でもない自分なのだと気付いて恐怖と絶望感に身体が震えた。
でも男は諦めない。
竜が無理だったら、森でいい。火を放ち燃やす。竜の気を引いて、隙を作って、そう逃げるのだーーー。
シルドレイルに睨まれながらも呪文を変更し、唱え始めた気力は流石だったがすぐに無駄なのだと打ちのめされることになる。
魔術師の男もその時になって感じた。森の空気が変わっていることを。
森全体が、水霊の、水竜の支配下に掌握されていたのだ。
シルドレイルは身を包んだ炎を消すなどということより、もっと必要なことを先にやった。
水霊は確かに火を嫌うが、この程度などまるで問題なかった。
でもこの魔術師やハンター共に、あちらこちらで火を焚かれ、森を燃やされるのは非常に不快なので森中に持ち込まれた火を消した。そして念には念を入れ、間違っても燃えないように策を施した。
火で竜を炙り出そうと計画した人間はいなかったので、シルドレイルの意思を感じたのは竜たちだけだったが、森は主である水竜王の命令の元、強固な水霊の加護の中に置かれたのだ。
この森では命令が解除されるまで、もう火は燃えない。
魔術の火も威力をとことん削がれていた。
他の属性の魔術なら有効だったが、火術を得意とする魔術師が求められ、魔術師は火術を専門としている男だった。
こうして水竜王を弱点である火で追い詰めて狩るという計画は完全に失敗となった。
残るは武器による肉弾戦だけだった。
竜王と呼ばれる並外れて存在で、水霊を自在に使役する特別な竜だった。
精霊行使なので、厳密には魔術とは違っていたが、ただの人間にとって得体の知れないで驚異的な力であることは同じだった。
へたり込んだ魔術師から視線をあげた竜はグルグルと低く喉を鳴らした。
唸り声とも違う、まるで歌っているような声があたりに静かに響いた。
立ち尽くしていたがいち早く立ち直った男たちは必死の血相に武器を構えたが、異変に気付く。
最初は目を疑ったが本物だった。空中に小さな礫が浮かんでいた。
透明の無数の球体が、どんどん湧いて広がってゆく。
水滴なのだと悟った者たちが無言で踵を返していた。危険を察知して逃げ出したのだ。
状況を上手く理解できなかった者も仲間を追って悲鳴をあげて走った。
唄声は途絶えた代わりに、後ろ足で立ち上がった竜は大きな翼を広げた。
空を覆う見事な翼だった。
太陽の光に、蒼い鱗はきらきらと煌めいた。
翼が風を起こし空を薙ぐ。
優雅な仕草だった。
攻撃とは思えないほどさりげなくーーー。
無数の水滴は、無数の武器となり逃げる人間たちの体を分け隔てなく満遍に貫いた。

20170604

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