第六章

7
黒竜は不憫で放っておけず、情を抱いた。
想像の中の不憫な少女は、ツヴァイの中で息子のリンドに重なってしまうのだ。
でも、だからこそ自分がここで退くことなど出来ないともツヴァイは思った。
ーーーおまえは、他者を気遣って己の子を見捨てるつもりか。
おめおめとリンドを諦めるのか。それでも親なのか。
おまえがリンドを一番に考えないで、どうするのかーーー。
何度も何度も考えてしまう。気を許すと自然に、取り憑かれたように考えてしまっていたが、行き着く結論はいつもこれだった。
自問の答えは当然、一つ。最も大切なのはリンドだった。
だから後悔はしない。どうなろうと悔いはない。
自分はただ全力で父親を全うするしかなかった。
そしてもう考えない、迷わないと決意する。ごちゃごちゃと考える余裕などこの先にはないはずだった。
ツヴァイはすでに森の中にいる。魔術の力を借りて気配を消して、目的を達成するために。
そろそろ休憩は終わりだった。同じように岩陰に蹲り腹ごしらえをしていた男たちに呼応してツヴァイも腰を上げた。



人間の姿に戻ったアドリィの開口一番は「ごめんなさい」で、ガーレルを驚かせた。
謝られる理由を必死に考えても何一つ見つからない。
でも、敢えて言うなら、ガーレルの気持ちを汲んで、竜の姿を女たちやシルドレイルに見せてしまったことーーー。
先走って下手なことを答えなくて良かったと思った。ガーレルの予想はまったくの的外れだった。
「買ってもらった衣服を破ってしまったの。うっかりしていて考えてなかった・・・不注意だった。ガーレルはちゃんと脱いでいたのを見ていたのに・・・」
沈んだ顔付きで心から申し訳なさそうにアドリィは言ったが、ガーレルにとって気にするようなことではなかった。
アドリィの初めての変身の前に、服の一枚や二枚なんてどうでもいい。
いや二枚ともを一度に着ていたわけでないので、駄目になったのは一枚、一式だけであり、さらに適当に買った黄色のものだった。
着替えも欲しいだろうからと数合わせに買っただけの方を、アドリィは気に入ってしまったのか、ガーレルが着て欲しいと選んだドレスはほとんど日の目を見ない状態になっていた。
アドリィを意識して選んでガーレル自身はとても気に入った服だったのだ。でも着られない。
アドリィにとって、自分じゃなく人間が選んだ方が喜ばれているのは腹立たしいことで、でも手渡してしまった後で、そんな理由で黄色い服を回収するわけにもいかないだろうと思っていた。
その憎い黄色が事故で着られなくなった。
だからアドリィは今、銀色で真珠が縫い込まれたガーレル絶賛を身に付けている。
ごめんなさい、どころか、ありがとうと逆に礼を言いたいぐらいだ。
「おれはもともと、こっちの服の方が気に入っているから」
ガーレルは満面の笑顔で応じたが、それを聞いたアドリィは驚いた。
「じゃあ、この服は着ないようにするっ、また破くといけないからーーー」
緊張した顔で慌てて脱ごうとするので、
「待て待てっ。よくわからなかったから二着しか買っていないのに、脱いだら他にないだろ!?」
「あるよ・・・」
察したガーレルが渋面になった。
あるというなら、忌むべきアドリィは見世物小屋で着せられていたボロ布のような服だった。
「あれをまだ持っているのか?あんな物はもう捨ててしまっていい。衣服はまた様子を見て買いに行く、もっといい服が見つかるだろう。ああ、今度はアドリィも一緒に買いにいって好きな物を選んだらいい」
アドリィと二人でする買い物は楽しそうだった。
「とにかくだ。服なんていくらでも破っていいから、破れるまでそれを着ていてくれ!」
真剣な顔でガーレルは宥めたので、嫌とは言えず、アドリィは不承不承で頷いた。
本当はアドリィだってこちらの服の方が気に入っていたのだ。
だけどいくら値段に詳しくなくてももう一枚に比べて断然高そうだと感じるから、勿体なくて着られずにいた。
黄色の破ってしまった方だって嫌いではなく、折角、ガーレルに買ってもらった物だったのに、うっかりだった。
あんな風にすんなり竜に変われるとは思っていなかったので脱ぐ暇もなく、下着もろともびりびりに千切れさせてしまった。
靴だけは変化の途中で足から脱げて転がったので大丈夫だったけど、悔しい失敗だった。
「今度は最初にちゃんと脱ぐから・・・」
「ああ、まあ・・・けど脱ぐときはおれ以外がいないところで・・・」
ついつい、つまらないことを言わずにいられない心の狭い黒竜の言葉は、アドリィは礼儀を教えられたのだと理解した。
変身途中の見苦しい様子を見せないように、とーーー。
こっくりと頷いたアドリィは、竜になったアドリィの前に現れたシルドレイルには勝手に変身を解いて人間から竜の姿に戻ったことを詫びていた。
そして、そのあと改めて、また竜になることの許しを申し出た。
シルドレイルの返事は「構わん、許す」という素っ気ないものだったのでガーレルはやりとりを軽く聞き流したが、真面目で礼儀を理解しているアドリィに対して、シルドレイルの好感度は密かに上がったのだ。
アドリィが竜の姿から、人間に戻ったことも礼節に乗っ取った行動だった。
いくら面白くて、刺激的だったとは言え、領地を統べる蒼竜王をはじめ、女たちも人間の姿で暮らしている場所なのに自分だけが竜でいるわけにはいかなかった。
人間に擬態しても中途半端で竜の気配を消せないとか、ガーレルは開き直ってしまって消していないなどとはべつの話で、アドリィの気持ちの問題だった。
物静かで、慎み深く、淑やかーーー。
アドリィの母親であるスフィジェを思い出し、シルドレイルは避けるように姿を消し、女たちはシルドレイルの様子を気遣って追いかけていったきりなので、アドリィとガーレルは二人きりになっている。
アドリィの竜の姿を見たガーレルは大張り切りで、以前にも増して甲斐甲斐しく世話を焼き、疲れただろうと特注の燻製肉をアドリィに食べさせた。
20170514

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