第一章

8
ガーレルは、相変わらず穏やかで優しげな空気を纏っていて、親方とも気さくに話をしている。
アドリィは、人間に対して抵抗感を持っている。
人間は竜であるアドリィとは違う種族で、単体ではとても弱いのに集団に群れをつくるととてもやっかいになる。
野蛮で、強欲で、竜さえも襲い、狩るのだ。
食べるためではない。食べるためだったら、もう少し好感が持てそうな気がするけれど、もっと卑劣な目的のために、竜の命を奪うのだ。
欲張りで、きっと存在するだけの竜をすべて狩ってしまいたいのだろうとすら思う。
だから、アドリィは人間が好きではないから、今までもずっと話をしないようにしてきたのに、ガーレルは平気そうに話していた。
でもそれは、ガーレルは大きくて強い竜だから、人間を恐れる必要はないため、嫌ってもいないのだろうかと思いつくと、なんとなく納得することが出来た。
ガーレルと話したあと、親方はアドリィに目を向けると、にやっと笑った。
とても嫌な笑みで、自分はやっぱり人間が嫌いだなあと、あらためて感じたアドリィとガーレルの二人を残して親方は小屋を出て行った。
足音が遠ざかるのを確認したガーレルが、部屋の扉の鍵を内側から掛けた。
「さてーーー」
ガーレルが、アドリィを振り返る。
ガーレルは笑顔だった。屈託なさ過ぎて、向けられていると困ってしまうような笑顔で言う。
「もう少し隠れていたいから、おれの代わりに精霊たちに頼んでくれるかい?」
首を傾げたアドリィに
「あの男はどうせすぐ戻ってくる。おれの所持金を気にしているから、すべて巻き上げようと考えているんだろう。またいろいろ言い出す。ーーーこちらの会話を盗み聞きされたくないからね、風に小屋の周りを遮断させて欲しいんだ」
こっくりと頷いたアドリィは、喉から竜の声をキュロキュロと出した。
風に頼み事をしたことは今までなかったので少し心配だったけれど、風たちはすぐに従って動いてくれた。
部屋の空気が止まって、少し押されたように固くなった。
蓋をされて、外界から隔絶されたことを感じた。
これなら中の音は外へと流れない。
アドリィは、自分でもこんなことができることをはじめて知ったのだ。
「では、次はーーー」
アドリィは驚きの中で、男の前で立ち尽くしているだけだったけれどガーレルは飄々としている。
ガーレルは腰のベルトから小降りの短刀を取りだしていた。
鞘を抜くと、磨かれた鋼の銀色の輝きの代わりに暗色に鈍い光沢を放つ刀身が現れる。
普通の刀ではなかった。
見とれていると、にっとガーレルがアドリィを見返して笑う。
アドリィの足下に膝を付いて身を屈めると、とても得意そうに
「この刃は、力を込めなくてもこれくらい簡単に切れる」
短刀は、バターでも切り分けるようにアドリィの足枷を断っていた。
それもそのはずだ。
「鱗、竜のーーー」
「誰のものかまではわからないけれど、そのようだ。ーーー古道具屋のがらくたの詰まった箱の中に見つけて、買った。知らないとは恐ろしい。虚しくなるような安価で良い買い物だった」
嬉しそうに短刀を褒めるガーレルに、アドリィは思わず
「剥がれたご自身の鱗で造られた物を持たれるといい。その方がもっと綺麗で、強い刃になる・・・」
「ふむ。ーーーなるほど。それは面白いな。今度、鱗を一枚、鍛冶屋に持ち込んで頼んでみるか・・・」
ガーレルはまじめな顔で言い、琥珀の瞳が間近で笑った。
「きみは賢くて、面白い」
アドリィは驚いて、後ろに跳び退って背中を扉にぶつけていた。
ガーレルのおかげで重い鎖からは開放されていたが、逃げる場所がないのは同じだった。
「・・・それほど逃げなくともーーー」
傷ついたようにガーレルは嘆いてみせたが、つかめない相手だった。
偉ぶることもしないし、アドリィを見下すこともしない。人間を嫌っている風もあまりない。
でも黒竜だった。
間違いなく、黒い、闇の竜だった。
生まれた子竜の中で、それぞれの精霊が選んだ竜は、特別な竜となる。
精霊が竜の鱗を特別な色に染めるのだ。
風の精霊は竜を芽吹きの色に。
水の精霊は竜を水面の色に。
火の精霊は竜を火焔の色に。
土の精霊は竜を大地の色に。
そして、闇の精霊は竜を夜陰の色にーーー。
残りの光の精霊と、闇の精霊は特殊な精霊だった。
光の竜は滅多に現れることはなく、闇に選ばれた黒竜は特に雄々しい竜になることが多いが、長寿を全うすることなく死を迎えて果てることになる。
精霊の力が強すぎるから、竜さえも引きずられてバランスを保てなくなるからーーーとアドリィには伝わっている。
物心が付いた頃には、竜の知識は大人から、思念として種族の小さな子どもたちに伝えられて、受け継がれているのだ。
「まあ、闇に愛される黒い竜は大抵、嫌われるものだろうがな・・・」
自嘲的な笑みなど、似合わないと感じた。
アドリィが見惚れる黒竜にそんな顔をして欲しくなかったし、ガーレルが口にしたことは嘘だった。アドリィは嫌いではなかった。
「闇は、癒しと狂気の表裏一体。夜に繋がる純粋な暗闇は精神に安らぎを与える大切なもの、ただし夜には光を厭う魔物が群れ集う。だから闇はひとたび均衡を失い、大きな歪みを孕んだとき惨事を招くことになりやすいが、魔の浄化を担うのも闇ならば、生まれないわけにはゆかないーーー」
それはアドリィが伝えられている知識であり、思想だった。
ガーレルが言った言葉が導きとなり、心の底から浮かびあがってきた言葉をそのまま口にしただけだったが、ガーレルはとても驚いた顔をした。
「驚いたな・・・。きみに世界を教えたものは、変わった考え方をするものだったようだ」
再び、似合わない笑みを浮かべて静かに言う。
「偏っている。正しておくよ。ーーー普通は、今のきみのようには考えない。こうだ。闇竜は感情の起伏が激しく、凶暴だが、長くは持たず自滅する。だから、放っておこうーーー」
「違う!」
「違わない」
「そんなの、正しくない!」
「そのうち、誰かに聞いてみるといい。きみの思想は偏ってしまっている。きみのせいではなく、きみに教えたものが悪いのだが、今は己を否定されたようで不愉快だろうが、正しいものも持っているといい」
自分を否定されて、腹が立っているわけじゃない気がした。
否定されているのは、アドリィではなく黒竜なのに、どうして黒竜本人がそんなことを言うのだろうか。
ガーレルは、自分が口にした内容を信じてしまっているのだろうか。
ーーー信じているから、口にするのだと思った。
それが、腹が立って、悲しかった。
「えっ。・・・ああ、少し待ってくれないかな・・・・・・強く言いすぎたか?・・・おれが悪かった・・・謝るよ、だから泣かないでくれ・・・」
黒竜は、ひどく優しかった。
今まではずっと独りでいて、他者と話をしたこともほとんどないのだ。
それなのに、いきなり黒竜だった。
情報と刺激が強すぎて、多すぎて、働かないことになれている心が受け止められない。
整理ができなくなってしまった感情を溢れ出させてしまったアドリィが悪いだけだったのに、黒竜をおろおろさせてしまっていた。
ガーレルが、恐る恐るといった具合に腕を伸ばした。
すると途端に泣くのも忘れたように食い入るように見つめられると動揺が走った。
黒竜の方だって、もうずいぶんこんな小さなものに接したことがなかったのだ。
うっかり壊してしまいそうだった。
黒い髭の口元に苦笑を浮かべながら、怯えさせないようになるだけゆっくりと慎重に触れた。
髪を撫でられていた。
大きな手で何度も、優しく。
撫でられているとなんだか、とても温かかった。
「こんなことじゃ、やっぱり収まらないか・・・。どうすればいいのかな・・・?」
そして、う〜ん。困ったーーーと言った。
でも、アドリィの方だって困っていた。
はじめて触れた大きくて美しい黒竜、ガーレルはとても心地がよくて、だから涙が余計に止まらなくなっていたことを、きっと強い黒竜は知らないと思った。



20141204

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