第六章

3
「は、くだらん。この距離で竜に戻って嫌も良いもないだろう。おまえは素知らぬ顔で、気付かないふりでもしているつもりなのか?」
冷ややかなシルドレイルの反論に合うと困った。
「・・・そうは言っていないが・・・けど、あの子はおまえと違って繊細なんだ。多少の心遣いがあるべきだろ。下手をして、もう竜の姿になりたくないとかなったらーーー」
真剣な顔付きで説明していたガーレルの言葉が唐突に途切れた。
「・・・あいつらめっーーー」
息を呑んだ後、言葉にならない怒りに歯軋りした。
あいつらとは、ガーレルの天敵の女たちだ。
アドリィの前に、ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングが飛び出したのを見たのだ。
慌てて駆け付けたのだろう女たちは竜の姿のアドリィを取り囲んで楽しげに話している。
同じ光景を目の当たりにしたシルドレイルは大きく溜息を吐いた。
「・・・先を越されてしまったが、気にするようなことでもない・・・」
出遅れてしまったガーレルに、幾らかの同情の念を込めて慰めた。
目を剥いたガーレルが言い返そうとしたが、遮って続けた。
「で、どうするんだ、おまえは。何も言ってやらないのか?あくまで心遣いとやらを貫くつもりなら話を合わせてやるが、私はこの森の主として赴くぞ。無視する方がおかしいからな」
「ぬぬぬっ・・・」
無視ではないのだ、ガーレルだって気付いてすぐ飛んでいきたかった。
シルドレイルに馬鹿にされそうだし、アドリィの気持ちだって思い憚ってーーー。
「あの娘だって、覚悟を決めてのことだろう。むしろ、おまえのためにした、おまえにこそ一番見て欲しいと思っているのではないのかーーー」
ガーレルが意地を張ったのがわかるし、このままにして拗ねてしまって女たちと険悪なことになられても困るから、シルドレイルはガーレルの機嫌を取る。
「話していても気もそぞろで、おまえはまだ来ないのかと待っているはずだ」
柄に合わない我慢をした挙げ句、最初に会うという機会を逃してしまっただけでなく、ガーレルの気遣いは裏目に出てしまったが、性格をよく知っているシルドレイルが言葉巧みにガーレルを誘導する。
「十分焦らしただろう。真打ちも行くぞ。邪魔な三人は連れて戻ってやるから、二人でゆっくり話をするといい」
こうしてガーレルの機嫌はすっかり回復して、シルドレイルと一緒にアドリィに会いに行くことになったのだ。



竜の姿になることーーー。
アドリィにとって、本来の姿に戻ることなど、紅竜・ヴァルネライラに会わなかったらまったく考えもしないことだった。
ヴァルネライラと話をして、必要だと諭されなかったら、この先もずっと避けていたと思った。
竜の姿になることは目を背けてきた現実と向き合うことだった。
アドリィは自我のあるほとんどの時間を人間の姿で生きてきた。
それでも、小さな少女の姿にしかなれないことで、自分の竜の姿がどんなものであるかを想像することができる。
理屈をねじ曲げる大きな力があれば事情は変わってくるが、基本的に化けても同じ程度のものにしかなれないのが通常だった。
小さいから小さい子供のまま、ほぼ成長もなく長い時間を過ごしてきた。
本当の竜の姿もそんなものなのだ。
巣だったばかりの子竜程度、いいや並みの子竜よりもさらに貧弱で、痩せっぽっちだろう。貴重な食料として兄弟の血肉になる天恵として、時間の止まった竜なのだから。
その酷さに見かねたガーレルが成長を促すように自分の肉を分けてくれるほどに情けない姿なんだと冷静に感じていた。
竜の姿を晒すことはとても恥ずかしかった。
ここにはガーレルや、シルドレイルといった特別に美しく強い、選ばれた存在である竜王がいて、ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングたち、力も漲る逞しい雌竜がいた。
そんな彼らに自分の姿を見せる。
竜の能力で視られているのはわかっていても、実際に竜になるのはとても勇気がいることだった。
そして、もう一つ、ガーレルが想像した通り、本当になれるだろうかという心配がアドリィの心を占めていた。
巣にいた兄弟たちと一緒に人間に掴まったときは、竜の姿だった。
そのあと、人間の姿になった。
でもそれは、ほとんど無意識による変化だったのだ。
アドリィを含んだ何頭かの小さな兄弟は、一塊に鋼鉄の網を浴びせられて狩られた。重い網にきつく締め上げられて潰れそうに窮屈で苦しくて、そんな中で兄弟の一人が姿を変えたのだ。人間の姿になって体が縮んだ分、網に余裕ができて楽になった。
後を追ったように他の兄弟も、アドリィも一斉に姿を変えた。
竜より小さな体になれば網の隙間から出せるかもしれないーーーなど考えてのことではない。ただ苦しさからの夢中で、無我による模倣、無自覚の行動だった。
けれど竜についてある程度の知識を蓄える人間たちはまさにそれを狙っていたのだ。人間の姿になれば格段に扱いやすくなる。
寝ぼけ眼の子竜なら尚更で、別々に小型でも頑丈な鉄の箱に押し込めて荷馬車に山積みすることができた。
襲撃にあっても満足に逃げることもできない幼いアドリィたちと違い、成長の良い体の大きな兄弟たちは勇敢に人間たちに向かっていった。
一足先に自我の芽生えを迎えた子竜たちが懸命に戦う様子をアドリィはぼんやりと憶えていた。
それだけでなく、大きな竜がーーー母が血塗れになりながらアドリィたちを追いかけようとして、でも数え切れないほどの人間が母を囲み、アドリィたちは別の人間たちに猛スピードで運び出され、離されて、すぐに姿は見えなくなった。
声も咆吼も聞こえなくなって、アドリィの意識は真っ暗な絶望の中に沈んだ。
目覚めを迎えておらず、いまだ微睡みに漂っていたアドリィにとって断片的なそれが、もっとも古い記憶だった。
次に目覚めたとき、アドリィは一人っきりだった。
兄弟も母も誰もいない。人間ーーー敵の中にいるのだと感じて逃げなくてはと思った。
20170416

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