第五章

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「・・・まあね・・・それはね・・・おれとしても苦渋の決断だったけど、とにかく本当に、暇だったんだよ・・・実際にやってないんだからいいだろ、怒るなよ」
悠久とも言える時間を生きてきた長老だけあって、お小言もしつこく長い。
だからと言って逃げるわけにもゆかず、逃げたらもっと長くなるだろうから・・・大人しく聞くしかないが、正直、うんざりするので、ガーレルもシルドレイルが怒る気持ちはよくわかる。
「だからしないから安心してくれ。アドリィに会って、そんな暇つぶしをする必要はなくなったから」
笑顔を浮かべて機嫌取りをするガーレルに、シルドレイルの返事は相変わらず嫌そうな溜息だった。
ガーレルのこれまでの行いも性格もよく知っているので、今は殊勝なことを言っているが、この男の言葉を果たしてどれだけ信じていいかという疑問がシルドレイルの中に生まれていた。
でも口に出して、水を差す必要もないかと心に押しとどめた。
それでこの話題も費えたが、二竜王はそれぞれ重苦しい思いに囚われ、沈黙を抱えた。
人間は竜にとって最たる災厄だった。
愛しいスフィジェを人間に狩られてしまったシルドレイルだから、自分自身は人間を恐れるに足りないと感じていても、人間は竜種にとって脅威だと言うことが骨身に染みている。
シルドレイルやガーレルなど、精霊に選ばれて従える竜王と呼ばれる竜は特別な竜だった。
それ以外の精霊と契約しないほとんどの竜は、精霊の力を使うことは出来ないから自力で生き抜くしかない。
体力、膂力、知力、そして運さえも行使して一度切りの人生を過ごす。
それは人間だろうと、竜だろうと同じことだった。
近づく敵の気配を察知することも自分の知覚頼りだ。
危険を察知した仲間から念話を送られることも時にはあるだろうが、竜は群れだって生きることをあまり好まない。
頭数からしても世界に点在する程度なので、竜同士の情報交換はそうそう期待できるものではなかった。
人間より優れた感覚のある竜だから、耳を澄ませ、遠見をしていれば気付くだろうが、普段から絶えず研ぎ澄ました集中をして生きているような物好きな竜はいないだろう。
ひとたび分厚い刃物を持った、竜を殺すために生きている様なハンターに接近を許し、囲まれてしまったら、あとは生きるか死ぬかの生存を掛けた戦いだった。
群がる人間を相手に、一頭の竜の体力と、鱗の堅さ、殺傷能力ーーー爪や牙を主とした攻撃力次第で運命が決まる。
最近では防御を固めた人間たちがとにかく大きな集団となって向かってくるから、殺しても殺しても終わらない。そのうち体力を削られ、疲労した竜は倒れる。
人間は竜狩りを、一攫千金と言うが自分が死んでしまって他の人間に富が入っても意味がないだろうに、そこまでする価値がシルドレイルには理解できなかった。
とはいえ、竜にとって、とても危険な風潮だった。
仲間が傷付けられ、次々と狩られてしまっている現状はシルドレイルも苦しい。
卵を生む母竜が減った上に、産卵率、孵化率が下がっている中、いずれ竜は人間に駆逐されてしまうのではという不安が湧き起こるのだ。
シルドレイルだけではない、ガーレルにしても、竜の未来に憂いは感じていた。
自然界で頂点に立つ竜の数が、下位に位置する人間に比べて少ないのは当然としても、昨今の人間の傍若無人ぶりは目に余る物がある。
でもガーレルにとって、種族の憂いの前に破滅率の高い自分の末路だったから、そのときにはせいぜい出来る限りの人間を、人間の街を潰して道連れにしてやろうと考えていた程度の真剣さだったが。
けど、今は少し違うことを思ってしまう。
狂い死ぬことが多いのが闇の黒竜だけど、必須ではないはずだった。
黒竜王でありながら、他の竜王と遜色ない時間を、それ以上の長い時間を悠々自適に生きた竜だっていたのだ。竜たちも敬意を持って語り継ぐ伝説的な竜王だった。
なら自分も狂わず、彼の王の様に寿命をまっとうしたい。
そのためには、不快感や強い怒り、憎悪を掻きたてる人間となるべく接することをやめた方がよいのかもしれないと考えていた。
邪気で淀んだ闇に呑み込まれて自分を失わないように、見失ってしまってアドリィを傷付けたりしないためにーーー。
シルドレイルに言われて、アドリィを誰かに殺されるなら、自分が殺したいと思った。
シルドレイルの乱暴な説得に、なんとなく納得した。
負けたら死ぬ。相手や状況に負けたら死ぬのだ。アドリィも、自分も。
でも出来るなら、アドリィを傷付けることなく一緒に楽しく生きていたいから、危険な勝負を避けるのは一つの手ではないだろうか。
あまり暴れたりしないで穏便にーーー。
激しい感情で心を乱すことなく、人間を相手にして負の感情を呼び寄せ取り憑かれることなくーーー。
そんなことを考えた自分に、すぐに、らしくないなと苦笑が浮かんだ。
けど少しでも長い時間を、アドリィと静かに生きる未来図を思い描くガーレルは、これも決して悪くないと感じた。



シルドレイルは森の中に戻っていったが、ガーレルは丘の上でしばらく人間を眺めていようと思った。
なんのことはない、アドリィに顔を合わせるのが気まずかったからだ。
いろいろ失敗して、ずいぶん泣かせてしまった。
まだ泣いているだろうか。
悲しんで怒っているのだろうか。
誤解があったが、アドリィの側にヴァルネライラがいるといくら説明しても、すぐに新たな誤解が生じ、解決するとは思えなかった。
茶々を入れられ、余計に拗れてしまう気がするのだ。
そもそも、女同士の話をすると言ったあの女は、アドリィに有ること無いことーーーほとんどあることだろうが、余分なことを吹き込んでいやしないかと考えると気分はどんどん沈んでゆく。
いつになったらあいつは帰って行くのだろう。
さっさと帰って欲しい。
アドリィには会いたいが、ヴァルネライラには顔を合わせたくないので帰ってゆくまで、ずっとここにいようかなとさえ考えるガーレルにその声が届いた。
20161009

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