第五章

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泣き笑いのような困った表情をしたガーレルを見るなど初めてだった。
力強く自信に満ちているのがアドリィの知るガーレルで、こんな風にガーレルを歪めてしまっているのは自分ーーー。
「ごめんなさい・・・」
「なんだ、なぜ、いきなり謝るんだ?」
小さく言ったきりのアドリィに、まるで理解出来ないガーレルは驚いたが、アドリィは答えてくれなかった。
なら、まだ途中になったままの状態にある思いを、アドリィのためにしっかりと告げなくてはならないと思った。
「だから、きみが卵を産むことに悩むのはまったくの的外れだ。・・・けど、言われてしまった。子を要らないといいながら、アドリィを望のかってーーー。おれも本当に、その通りだと思ったよ・・・よくわからなくなっている」
首を傾げるのはアドリィの番だった。
ガーレルが浮かべていた苦しみは薄れて消えた。ガーレルは怖いほどに真剣な顔でアドリィを見つめていた。
「おれはきみを巻き添いにする虞がある。いや、側にいたら必ず捲き込んで、おれは小さなきみなど圧し潰すだろう・・・。なら、おれがきみを望むことは間違いなのかーーー」
キリングだけではない、アドリィだって同じだった。ガーレルの言葉に強い衝撃を受け、大きな動揺の中に突き落とされていた。
黒竜王の惑いであり、弱音だった。
他の四精霊王とは事情が違い、闇王には問題がある。
強力すぎる闇の精霊の力を宿す王竜は、引き替えに闇に蝕まれることになる。
だからたいてい寿命を全うすることなく、正気を保てなくなって狂い死ぬ。
誰もが知っている常識であり、アドリィだって知識として識っていたことだった。
頭では知っていたけど、心では・・・何もわかっていなかったのだと思った。
だから震えるばかりで、言葉が浮かばない。
でも、ガーレルはアドリィの返事など待っていないのだとすぐに感じた。
アドリィを見ていたけど、アドリィを通り越し遠くを見ていた。
それは未来だろうか。
ガーレルが迎える未来。
感情ない黄金の瞳が見据えるのは闇竜が辿る破滅の道???だろうか。
「もうっ。心配になって来てみれば・・・いい加減になさいな、あなた、男でしょ、そう言うことはひけらかさず一人で悩みなさい。聞かされても困るから。他の竜王を凌ぐ力に恵まれるのだから、引き替えがあっても当然はなず、でないと調和が乱されるでしょ?」
「アドリィも思っているわよ。ほら、言ってあげない、うるさいって」
とんでもないところで話を振られたアドリィは瞬きも忘れてヴァルネライラの艶やかな笑みを凝視した。
「・・・わたしはそんなこと・・・」
「こんな男、庇わなくても大丈夫。あなただって贅沢な悩みだと思うでしょ、黒竜王と天恵ーーー生き直せるならどっちを選ぶかしら?・・・なんて聞くまでもないでしょうけど」
そんな選択肢が与えられることなどなく、だから一度も考えたことなどない。
王になるには意志の前に、精霊から選ばれるという資質が必要であり、王であるには大きな責任があるはず。だから天恵の身が嫌であろうと、じゃあとは簡単に選ぶことなんてできないと思った。
すぐに答えが出せる質問ではないけれど、今、自分が答えるべき返事は一つだと感じた。
「黒竜王ーーーになりたい。強くて、美しい、ガーレルのような黒竜になりたい!自分の領土を持って、人間の街を自由に歩き回って、まともに生きることもできない弱い竜を助けたい、そしてそんな相手から心から感謝されて、敬愛と憧憬の思いを・・・集めたいけど、そんなこと、わたしには無理・・・」
「まあ、ひどく熱烈な願望ね。聞いているとこちらまで熱くなってしまうわ」
ヴァルネライラに意味深に笑われてしまったが、嘘はなかった。
ガーレルになれるわけがないし、まして黒竜王が自分に務まるとは思えない。精霊の中でも気難しい激しい闇の精霊を束ねて従わせる竜王だった。
だから、アドリィにとって闇の黒竜王はガーレル唯一であり、アドリィを助けてくれたのはガーレルであり、アドリィが焦がれるのはーーー恋い焦がれる相手はガーレルだけだった。
大きく強い闇の竜王は、あまりにも己と掛け離れた、小さく弱い天恵であるアドリィを放っておけなかった。
竜であっても人間に囚われているだけで逃げ出そうともしない、情けない存在に憐憫と興味を感じた。
檻の中から出しても、すぐに再び捕まりそうで放りだせなくてーーー。
たぶん最初は、それだけのことだったけど、優しいガーレルはアドリィを側に置いているうちにさらにほっぽり出せない気持ちになってしまったのだと思っている。
すべては、闇竜だから、天恵だから。対極だからと考えると、急に心が軽くなっていた。
アドリィがもう少し普通の竜だったら、自分で檻を壊して飛び出していた。
ガーレルが興味を持って助けることはしなかった。
きっと出会うことはなかっただろう。
ただの竜として、人間に追われ、狩られて果てていたかもしれない。
そう、アドリィの兄弟たちのように。
一緒に生まれた兄弟たちは、黒竜に会うことなく死んでいったのだ。
だとすると、アドリィがガーレルに出会うことができた幸運は、生き延びた天恵という運命がもたらしたことになる。
アドリィが今、感じている歓びはガーレルから生まれるものだった。歓びだけでなく、心が張り裂けそうな悲しみもだったが、すべてはガーレルから与えられるものだった。
それなのに嘆くなんておかしかった。天恵は嫌と悲嘆するのだっておこがましい。
闇竜であるガーレルの運命を共にすることだって、少しも嫌じゃない、平気だった。
もしもそうなったとして、アドリィにとってそれは最期の瞬間までガーレルと一緒にいれたことであり、ガーレルが気を病むことなんてまるで無いのだ!
湧き起こったこの晴れやかな思いをガーレルに伝えたくなっていた。
けどそのとき、ヴァルネライラの凛とした声が響く。
「ガーレルヴェルグ、ねえ、あなた、向こうに行ってくださらない?わたくし、アドリィと話がしたいの」
アドリィとガーレルが驚いた顔をして紅竜の化身を見たが、揺るぎなく美しい笑顔が湛えられている。
「おれのことなど気にせず話せばいいだろ?」
ガーレルは嫌そうな声を出したが、
「駄目よ。女同士の話よ。男は邪魔だわ」
20160922

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