第一章

6
アドリィには、とうてい信じられない言葉だったが、この言葉を聞いて手放しで喜んだ者もいた。親方だ。
「でしょう、旦那!」
喜色満面の親方が、本題に入っていた。戻ってきたのはこのためだったのだ。
「・・・もし、旦那がお望みならこいつを、一晩お貸しできますよ。うちの見世物小屋の敷地内ですが、小屋を用意できます。そこでじっくり研鑽されちゃあ、いかがですか?ーーーもちろん、ただというわけにはいきませんが・・・」
下卑た嫌な意味が親方の口元に浮かび、背の高いガーレルを見上げた。
「旦那、金貨はあとどのくらいお持ちで?」
「さあな」
「五十枚・・・」
「残念だがーーー」
「じゃあ、四十枚は?」
「そんな金持ちに見えるか?」
「三十枚!」
「到底無理だな。せいぜい、その半分だ」
ガーレルが髭の口元に苦笑を浮かべたが、親方は諦めなかった。
「じゃあ、十枚でいい。殺さないでくださいよ、多少の怪我なら目をつぶりますが。それにもし、こいつが暴れて、旦那に怪我を負わせても、こちとら責任は負えませんが、それでよかったら、一晩じっくりとお調べになりませんか?」
言外に、一晩お楽しみになりませんかと誘っていた。
見世物小屋の特殊な人間を面白がって、一晩借りたがる金持ちの好事家がいてもう一つの商売になるのだ。
毛色の変わった人間ならまだいいのだが、竜で言葉も話せないこの子どもを求める者も何人かいたが、親方だって理性がある。獣のようなものを貸し与えて、金持ちの街の権力者に怪我でも負わせてしまったら、親方の人生が終わるだろう。
金に釣られても、そんな危険なことは出来なかった。
でも、この学者は、旅の学者で一人のようだった。
金さえ貰ってしまえば、どうとでもなりそうだった。最悪の場合、大怪我でもしたらこっそりと葬ってしまえばいいと考えていた。
親方は、ガーレルの金貨に目が眩んでいた。
そう、金だ。
この弱い竜は、そう長く持たず死ぬだろう。
餌をほとんど食わないのだ。食わないから、もちろん大きくもならない。それどころかどんどん弱ってきているように感じていた。
値段通りの買い物だったわけだが、自分にとっては一世一代となるような大きな買い物だった。借金をしてまでの大金を払って買い付けたのだ。
なら生きている内に少しでも金を稼がせないと、と親方は考えていた。
金貨十枚なら、不足はなかった。
一枚だって目が飛び出すほどな金貨が、十枚、大金だった。
「いかがですか、旦那ぁ」
「十枚か。それを出すとこちらはもう手元にほとんど残らないよ」
「竜の娘を一晩、愉しめるならお安いでしょう?他にこんな機会がありますかねぇ〜」
親方の誘い文句は露骨なものになりつつある。
アドリィは、檻の中から他の見世物の人間たちが、客を取らされていることを見てきて知っている。
でも今まで自分には一度もなかったことだ。
固唾を呑んでアドリィは成り行きを見守っている。
「さあ、どうしようか・・・」
悩んでいる素振りのガーレルに、親方は畳みかけた。
「ここで思い切らないと、旦那、一生後悔しますよ!」
「・・・でも、十枚はやはり、払えないな」
「じゃあっ、じゃあ大負けだ、八枚だっ!」
結局、商談は成立し、ガーレルはアドリィを一晩、金貨八枚で買うことに決まった。



旅の学者から金貨を八枚。最初に貰った一枚と合わせて九枚。
降って湧いた、人生初にお目にかかるような金額だった。知り合いの伝もあり、アドリィを買い取った金額は金貨三枚程度だった。それでもとても悩み、買ったあとは後悔に苛まれたが、やはり、金はあるところにはあると言うことだ。三倍の大金が親方のところに転がり込んできた。
最近造られる金貨は少々質が落ちてきていたが、男が差し出したのは旧金貨だから、さらに価値が高い。死に損ないの竜の小娘にこれほどの金額を差し出すなんて、学者というあの男の正気を疑いたくなるほどだった。
これだけの金額だったら、たとえあの竜の小娘が男のせいで死んでも、いや一座をすべて失ってもおつりが来るというものだろう。
ほくほくで機嫌のいい親方の言いつけで、アドリィは鎖に繋がれたまま、たらいに浸けられていた。水を頭から掛けられて、汚れを洗い流されていた。
洗濯した服を着せられて、髪をとかしつけられ、小綺麗に身支度を調えられた。
世話をしてくれるのは、いつもの痩せっぽその青年だった。
幼い頃に大やけどを負ったという青年は顔から肩に大きなケロイド状の火傷の痕があり、片目も無かった。
見世物小屋では恐ろしげな風貌で売っているが、とても優しい男だった。
彼だけは決してアドリィを殴ったりはしない。
言葉を理解しない竜の少女でも優しく、丁寧に話しかけながら世話をしてくれた。
だから彼の前ではアドリィもいつも手間を掛けないよう大人しくしていた。
アドリィでは暴れても棍棒一つで簡単に取り押さえられてしまう非力さしかなかったけれど、気持ちの問題で、彼が彼の役目を楽に終えられるよう協力したかったのだ。
青年は、髪に一つの小さなリボンを結んでくれた。
彼はときどき、こっそり果物をくれたりする。それがお菓子のときもある。野に咲く小さな花を摘んで花輪をくれたときもあった。
照れくさそうな笑顔で差し出され、アドリィが受け取ろうとしなくても怒らず、そっと置いていってくれる。
でも今日は、笑顔はなかった。
青い色の瞳は痛ましそうも曇り、悲しげな視線をアドリィに送っていた。
20141201

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