第四章

14
日差しは暖かく輝かしいけれど、アドリィの心は一筋の光も見いだせない深淵に落ちようとしていた。
アドリィなりに心のバランスを取って生きてきた。
それは弱いなりに必死に装った強さだった。
でも心の均衡は、突きつけられた問題を前に崩壊しようとしていた。
てんけい(天恵)なんて、いやっーーー。
こんなのはいやっーーー。
こんなふうにしかいきられないのはいやっーーー。
こんなふうにしかいきられないなら、もういいっーーー。
もうっーーー。
強く目を閉じて、石のように固まってしまったアドリィの異変は傍からもわかった。
ネーザリンネだった。
両腕を伸ばして、アドリィの小さな体を引きし寄せ抱きしめていた。
「ねえ、アドリィ。聞いて」
言葉は、竜の言葉と同時にされた。
無視することの出来ない種族の言葉は、無機質に固まった心にも浸みていた。
「それは、あなたが考えることではないと思わない?」
アドリィはされるままにネーザリンネの豊かな胸に納まっている。反応はなかったが、ネーザリンネはゆっくりとした口調で続けた。
「だって、そんなこと、黒竜さまだってわかってらっしゃることだわ。あなただって、そう思うでしょ?あの黒竜さまが、何も考えていらっしゃらないなんてないわ」
固唾を呑んで見守るディーメネイアとキリングだったが、キリングはこの時、あの黒竜さまだったらわからないかも、案外なんにも考えてないかもーーーと、ひどく突っ込みたくなったけどさすがにぐっと腹に収めた。
「それでもおっしゃったの。あなたから言って欲しいとせがんだわけじゃないでしょ、どう?」
待っていると、胸の中の頭が小さく頷いて、ネーザリンネはほっと吐息した。
そして、アドリィを抱え直す。
顔が見られるよう、上向かせる。
アドリィは目を開いて、ネーザリンネを見つめていた。
微笑み返して、
「なら、あなたは、どーんと構えていればいいと、私は思うわ。あなたは出来ることはするでしょうね、真面目だもの。でもそれ以外はあなたのないではない。黒竜さまの問題よ。無茶を考える黒竜さまが愚かなの」
「愚かなんて・・・」
「愚かよ。あなただって、出来ることと出来ないことを考えて生きてるはずよ。あなただけじゃないわ、みんな、考えて自分に相応しく生きている。それなのにね、黒竜さまはまったく、困ったものね。あなたはね、出来ないことは出来ない、そんなこと無理と胸を張って教えて差し上げなさい。ちゃんと言わなければわからないタイプよ、あれは。・・・まあ、キリングが言うように、きっぱり断るのも一つの手かもね。闇の黒竜さまだから、一緒にいると災いに巻き込まれるかもしれない。折角、生き延びたあなたの幸運を捨てるようなことになりかねないんだから」
「ガーレルは平気・・・捨てたって、平気・・・」
「あら、あなたは優しいのね」
「・・・違う・・・優しいのはガーレル。助けてくれた。・・・ガーレルはわたしの幸運・・・ずっとガーレルといることがわたしの幸運・・・」
「いやん。お熱いこと、本当に黒竜さまにぞっこんなのね。黒竜さまもあなたにぞっこん。羨ましくて腹立ってしまうわね」
それまでじっと黙って見守っていたディーメネイアが黄色い声を出して茶化すと、落ち着きを取り戻してきたアドリィの顔はみるみる紅く染まった。
「そんなこと、ない・・・」
小さくアドリィは答えたが、キリングがすぐにあとを引き受けた。
「そんなことあるわよ。こっちはね、いったいここで何年暮らしていると思う?最近、蒼竜さま、私たちのこと空気のようにしか思っていらっしゃらないのではと感じるときがあるわね・・・。あ、だからといって黒竜さまに乗り換えることは間違ってもないから安心してね。黒竜さまでいいなんて、物好きはきっとあなただけよ」
ライバルはいないんだから、あなたはどーんと構えていられる、安泰ね、万歳!ーーー陽気に付け足したキリングに、アドリィは気になっていたことことを口にした。
口にしたと言っても、名前だけだ。
さらに真名を口に出すと本人に聞こえてしまうのことがあるので、ただの呼称だ。
「・・・紅竜さま・・・」
それだけでもきちんと聞きたかった内容を理解してもらえた。
「ん。紅竜さま?ーーーああ、そこね。でもそれは心配はいらないでしょうね。あの方、ほとんど黒竜さまに執着されていないから」
教えられて安心したのもつかの間、キリングはにやっと笑った。
「っていうかね。あの方、黒竜さまより、あなたのことの方が気に入ってるみたいよ。黒竜さまの心配なんかより、自分が奪われないように気を付けた方がいいかも!」
「そんなっ・・・」
ぷぷぷっと笑うキリングに、アドリィは青ざめる。
「でも。黒竜さまと紅竜さまの闘いって見てみたいわね〜、想像するだけでぞくぞくする」
うっとり物騒なことを言いだしたキリングに、ネーザリンネ、ディーメネイアが、それは是非見たいわね、と同意を示して、アドリィはどきどきした。
いろいろな意味で、だ。なぜってほんの少しアドリィも思ったからだ。黒の美しい竜と紅く美しい竜の強い者同士の闘い、わたしも見てみたいとーーー。



平常心を取り戻したアドリィが照れながら、ネーザリンネの胸から離れて、「ごめんなさい・・・ありがとう」と感謝を述べた。
でもすかさず今度はキリングの胸に抱きしめられてしまった。
「どう、姐さんと感触違う?まあ姐さんの方が大きいけど、私の方が柔らかいと思うのよね」
えっと固まったアドリィの体がふわりと浮いた。
「あら、じゃあ、私は?大きさと柔らかさ両方兼ね備えているでしょ?」
ディーメネイアも加わって、話題はすっかり胸の感触だった。
どのあたりがあなたの理想、感想を言いなさいよ、などと際どい返答を強要されて非常に困ってるとき、ガーレルは森の東部の小高い丘の上にいた。
横には、シルドレイル、ヴァルネライラの姿もある。まさに竜王たちが揃っての会談だった。
人間の方からは竜王の姿を確認することなど不可能だったが、竜たちの目からしたら遙かの森の入り口辺りに、人間が犇めいているのが見て取れた。
すべてハンターだ。竜を狩ろうとするハンター達の集団が武装を堅め、森に入ろうと準備をしている。まさに最終段階だろう。
20160211

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