第四章

8
黒竜だった。
空気を震わせて黒竜が発生して、風を裂く猛スピードでこちらに飛んでくる。
ガーレルが人間の姿から、黒竜に戻ったのだと肌が、体が感じ取ってびりびりした。
慌てる暇もなく、暴風に襲われる。風圧だった。
「もうっ!」
立ってもいられないほどの風に外套と長い髪を乱されるままのヴァルネライラは不満と訴えていたが、アドリィはそれどころではない。
ヴァルネライラや、ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングたちは体を低く構え踏ん張って耐えていたが、アドリィは上手くいかなかった。軽すぎた体が風に負けて浮かび上がった。
飛ばされてしまったのなら、もう為す術はない。落っこちて止まるのを待つのが一番早いので、無駄な努力を放棄したアドリィは考えていた。ガーレルはなんだかとても怒っている。
だからこんなに乱暴な羽ばたきで。そもそも竜に変わって急襲とも言えるような到来だなんて、どうしたんだろう・・・。
そして、暗転だった。意識がなくなったわけではない。
視界が急に陰ったと同時に何かにぶつかった。それは堅くて、跳ね返ったらぬめっていて、狭くて湿った空間に包まれていた。
風に煽られ空を移動していた体がこれで一応の安定を得ていたが、ここはいったいーーー。
アドリィは思い出した。少し生臭い呼吸だって記憶にあるものだから、ここはそう、ガーレル・黒竜の口の中ーーー。
でもそれのつかの間で、ぽいっと体が垂直に落下して元の明るさが戻ってくる。
吐きだされて、地面に落っこちると身構えたけど、そうはならなかった。
「おっと、危ないっ・・」
ぶつかる寸でで、がしっと受け止められた。
すみやかに人間の姿に戻ったガーレルの両の腕にだった。
もろもろな状況に緊張状態にあったアドリィだったが、ガーレルの声を聞いたことで一層、心臓が激しく跳ねた。
黒竜に感じたようにはガーレルの声や表情は怒ってはおらず、アドリィを抱きかかえた男は優しい笑顔を浮かべていて一安心だったが、強い不満の声が周りから噴き上がった。
三つ。ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングたちだった。
「黒竜さま!これは酷い、いい加減にしてくださいません!」
「不作法にもほどがありますわ!見せないでくださいませんか、気分が悪いです!」
「っていうか、見たくない!人前でそんな恰好をしている人間をなんて言うか、ご存じ?変態って言うの!それとも変質者、かしら。人間の男の生殖器などぶらぶら見せないで欲しいわけ、気持ちが悪いのよっ!!」
「む・・・」
巨体の竜体から人間の姿に変化したガーレルは、当然だったが、素っ裸だ。
竜に戻った時点で、それまで身に纏っていた衣服などびりびりに裂けて形も残っていないはずだ。
素っ裸と言うことにおいては竜だってそうだ。人間になったことで、どうしてそこまで激しく非難されなくてはならんのだ!とは、ガーレルの言い分だったが、三人のあまりの剣幕に圧倒されて言葉が出ない。
それより、どちらかと言うならこっちだ。アドリィも同じように思っているのかと顔色を窺うと、表情がとても硬い。
裸の失敗は、アドリィの前ではこれで二度目に犯すことになる。
焦った余り我を忘れて飛んできてしまったが、まずかったか、非常にまずかったようだ。
どう、取り繕うか、裸でアドリィを抱きかかえている男は困った顔だ。
でも救いなのは、少なくともアドリィからは、女たちに非難されているぶらぶらは、死角に入っているので見えないってことだろう。
それほど慌てて赴いた理由もすっかり忘れて黙って苦笑いするガーレルに、助け船は想像外のところからやってきた。
「一度、こいつら、締めたらいかが?舐めきられているのね、見ていられないわ。これではあなたに係わるわたくしの沽券の問題にだってなるわよ!」
冗談ではないのだ。赤い唇の間からぎらりと獰猛な竜さながらの牙が覗いた。
他人事と笑っていられないヴァルネライラの発言に、黒竜王を恐れない三頭が息を呑んでいた。
しかしそのあとは、揃ってヴァルネライラにも劣らない攻撃的な視線になって迎えうつ。
ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングにも誇りがある。ふらりと他者の領地に踏み込んできた訪問者に喧嘩を売られて、無視など出来なかった。
たとえそれが元・竜王だろうと。いや、竜王だろうとも、だ。
あわや一触即発の剣呑な空気が漂っていた。
同じく避けた口から牙を覗かせる女たちの人間化も解けてきている。
竜に戻ったとき、体躯は圧倒的にヴァルネライラが優れていたが、いくらか劣ろうが、今は三対一だった。
それに自身が口にしたように、ヴァルネライラは竜王ではなくなったのだ。代替わりをしつつある。
絶対的な火霊の加護を失ったのなら、あとは精神の闘いだった。
体の大きさぐらい、闘志が補うだろう。
喰らいついて何があろうと牙を弛めない、喰い千切るまで離さないという意志が強い方が勝つ。
竜同士の闘いなどそんなものだった。
しかも雌性竜ははるかに体の大きな雄性竜に勝つことは珍しくない。
気性の激しい雌性竜、その雌性竜同士の争いが勃発しようとしていた。
とはいえ、ガーレルにとってほとんどどうでもいいことで、自分の味方になってくれたヴァルネライラ含め、眼中に入ってなかったが、
「ガーレル・・・お願い、止めて。ガーレルならできること・・・」
耳元に口を寄せられて、小さく小さく他の誰にも聞こえなような声でされたアドリィのお願いを聞き流すことは出来ないのだ。
わかったよと、優しく答えてから
「おまえら、やめろ。言うこと聞かないなら、勝った奴、おれが直々に沈めるぞっ!」
ガーレルがどすを利かせて言い放った言葉に、それは少し違うとアドリィは冷や汗が出る思いだったが、黒竜の恫喝には一応の効果はあり、渋々という風情に女たちは視線を外し合った。
けれど腹に収まらなかった、三人の女たちの中でも一番気の強そうなキリングがガーレルを睨めつけた。
「原因を作ったのはどこかの変態だって事、覚えてらっしゃるのかしらね!」
それを言われると、ガーレルも辛い。
20160121

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