第四章

7
「・・・ヴァルネライラ、さま・・・火竜王さま・・・」
知識の底から、一つの情報が浮かび上がり、驚きの中で小さく呟いたアドリィの言葉を、ヴァルネライラは聞き逃さなかった。
「あら。それは違うわ。わたくしは火竜王でなくなったわ。精霊達がどんどん離れていっている。もう半分もいない。賑やかなほどいるのが普通だったのに、こうなるとひどく寂しいわ」
言葉に反し、寂しいなどと言う感情には無縁に思える艶然とした笑みだった。
陽炎のように見える真実の姿、艶やかに輝く赤い宝石のような鱗に覆われた大きくもしなやかな曲線の雌竜が、人間に化けた女の容姿がどれほど際立っているか、人間の美醜に疎いアドリィは理屈で理解した。
森の奧から歩行で現れた並外れて美しい女性。
並外れた竜だから。理屈ではない。真理。
他の生き物に化けるにしても、その存在に相応しい者になる。
成長の乏しい小さな竜のアドリィが、貧弱な人間の子供にしか変身出来ないように。
美しく綺麗。魅力的ーーー。
きっと同性なのがいけなかった。ガーレルやシルドレイルと会ったときは心が震えたけれど、こんな気持ちはなかった。
ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングたちを前にしていると感じる、ちくちくした痛みがあった。でも出来るだけ考えないようにして、なんとか心の底に押しとどめていたものの正体をアドリィはちゃんと知っている。
劣等感だった。
三人も感じていた劣等感が、さらに強烈なヴァルネライラに会ったことで心の蓋を弾きとばし溢れ出ていた。
無いものを願ったってしょうがない。僻んでも仕方ない。心の醜さを露呈するだけだとずっと考えてきた。
けど、ヴァルネライラはーーー。
黒竜・ガーレルに強く憧れるけれど、比較的冷静でいられるのは性別が違うからなんだと思い知らされた。
ガーレルには感じない種類の憧れだった。同じ雌竜として自分の見窄らしさがひどく嫌だと思った。
一緒にいたくない。見られたくもない。逃げ出したい。苦しいから。
でもアドリィの乱れる心は、それだけでは終わらないのだ。
本気で逃げだしてしまおうと思ったとき、三人の背の後に守られるように立つ自分こそが、燃えるような緋色の瞳に睨むようにじっと見つめられていることを知った。
ヴァルネライラは、アドリィを見ていた。
「もうあなたは行きなさい」
キリングがアドリィをそっと逃がそうとしてくれていたが、叶わなかったのだ。
他ならないヴァルネライラ本人が妨げたから。
「あら、待ってよ。まだ話が終わっていないわ。わたくし、その小さな彼女に話したくてここまで来たっていうのに」
ヴァルネライラは依然としてにこやかだったが、ネーザリンネたちは揃って緊張を深めた硬い顔になっていた。
アドリィは、よくわからない。
自分と話したいなど、どうして。
話をするためにやって来たと言ったけど、そんな価値が自分のどこにあるのだろうか。
「もっとこっちにいらっしゃいよ。あなた小さいんだもの、陰になって見えないわ」
手招きされたら、行くしかない。三人も止めなかった。確固たる力関係があるため、簡単には止められないのだ。
「虹色に輝く鱗、鏡のように光を映す瞳。美しいわ。まるで宝石。生きた宝石ーーー素敵だわ」
前に立ったアドリィに合わせるために、ヴァルネライラは膝を折り跪いて、間近に見上げるアドリィに手を伸ばし、白く色素の薄い髪に触れる。
アドリィの髪はアドリィの鱗のように、虹色に輝く珍しいものだった。
珍しい竜だから持つことになる不思議な色だから、正反対の強い竜の興味と好奇心を惹いてしまうのだろう。自分にはないものだから・・・。ガーレルがそうなように。
アドリィには、ヴァルネライラの方こそ、生きた宝石で輝かしくて、羨ましかった。
もしも、もしも、天恵などでなくこんな存在であれたならーーー。
ふわりと浮かんだ思いだった。
ガーレルはもっと自分を好きになってくれるだろうか。
興味ではない。興味はいつかは失せてしまうものだ。
ヴァルネライラの様であれば、ずっと一緒にいられるだろうかーーー。
思っても意味のないことと、頭に浮かんだことを振り払おうとしたときだった。
「静かな子ね。もしかして、わたくしのこと嫌い?」
「・・・いいえ、そんなことは・・・」
「あら、わたくしはあなたに実際に会うまで、腹を立てていたわ!」
にやりと蠱惑的に輝く瞳が言った。
「・・・腹を・・・なぜ、ですか・・・」
「それは決まってるでしょ。わたくしの男を取ろうとする相手にいい気分になることなんてあるわけがないでしょ?」
「・・・」
あまりの内容に、アドリィは言葉にならない。
ヴァルネライラが言う、わたくしの男というのが、ガーレルなのだろうと感じた。
ああ・・・お似合いだとも、心のどこかで暗く思った。
でもその先、自分がガーレルを取ろうとするなどーーー。
「違うっ、違いますっ、ガーレルは優しくて、人間に囚われていたわたしを助けてくれてーーー」
「本当に、それだけだと、あなた思っている?」
驚いて答えられないアドリィにヴァルネライラは続けた。
「じゃあ、ここにいれば安全ね。ガーレルはもう用済み、ならわたしくが連れて帰っていいわね」
「だめっ!」
悲鳴のような声は抑えることの出来なかった、まさに悲鳴だった。
ガーレルとヴァルネライラ、男女、雌雄の関係があって、だからヴァルネライラは自由に歩き回っているガーレルを呼び戻しにやって来た。
「精霊がいなくなるよりも、あんな馬鹿男でも他の女にうつつを抜かす方が悲しいなんて、わたくしも焼きが回ったものね。でも、あれはわたくしのものだかーーー・・・」
いきなりヴァルネライラが、アドリィから視線を上げてその背後を、空を見た。
ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングも気付いた。
アドリィも。
20160117

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