第四章

6
「でも、少しでもいいんだ! 少しだろうが、それはあの子の止まっていた体内の時間が動き出したということだ。動き出したことに間違いはないんだ、だろ?無理かと思ったが、変化は生まれた。おれのやり方は間違ってなかった!」
「ーーーそう、なるな」
ガーレルの浮かれ具合に舌を巻きながら、シルドレイルも頷いた。
それがまた嬉しくて、捲したてるように喋るガーレルは、シルドレイルにとって初めて目にする姿でもあった。
「あの子は確かに天恵だ。儚く美しい、朝日に消える花露の様な子だ。だが、それだけでなく、その先の未来だって生まれつつある!」
意気込んで訴えたガーレルの気持ちは、シルドレイルにだってわからなくもない。
けれど、そんなに簡単にゆくものだろうか。
「期待しすぎるな。確かに兆しは見える。けれど、あのひ弱な体はその変化に対応できるか、耐え切れるか、だ。おまえが与え続ける物が今は良くとも、いつの時、負担になり悪影響に及ぼすことになるか、最悪、あの子の体組織の機能を止めることになる可能性だってーーーあるんだ。すべてが手探りで、未知過ぎる」
シルドレイルは辛辣だったが、正しいとガーレルも認めるしかないことだった。
だから、がらりと調子を変えた不機嫌な声が答えた。
「わかっている・・・。慎重にやるつもりだ。慎重に慎重に、あの子を壊さないように・・・」
並外れて大きく、世界に無頓着であれる黒竜の言う慎重が、想像を超えた者に上手く通じればいいが・・・。
おそらく黒竜自身も感じている不安感だろうから、シルドレイルも敢えて口に出さなかった。



平凡な日常が破られたのは、ガーレルとシルドレイルが、アドリィについて語り合った翌日だった。
一緒にいるといっても、いつもみなが顔を付き合わせているわけではない。
広い森だった。シルドレイルは孤独が好きなのか、姿を見かけたと思ってもすぐに消えてしまうし、ガーレルもアドリィを誘って森の散策をすることもあるが、ふらっと一人で出かけるときもある。
きみを置いて森を出たりはしないから。
約束をしてくれていたから、アドリィも平気でネーザリンネやディーメネイア、キリングの三人にくっついていられた。
敵ではない小さな同性を、三人は受け入れ、時には興味深い玩具のように構っていた。
生まれてすぐに囚われてずっと人間の檻の中で暮らしてきたというアドリィを不憫に思う同情があったし、天恵の生き残りという好奇心もあった。
その上、この小さな小さな同性に、なんとあの黒竜がぞっこんに入れ込んで、悪巧みをしてまで育てようとしている。
ーーーもし上手く育ったら、どうするのかしら。
ーーーそれはもちろん、ねえーーー。
女たちの想像力が刺激される。
ーーーでも難しいところよ。あんまり、育って欲しいとも思っていないんじゃない。だって今の雰囲気が失われてしまったりしたら、黒竜さま、泣きそう、ぷぷぷ。
成り行きを興味津々に見守っているのだ。
もしも。
上手くゆくならいいなと思っていた。
けれど黒竜の目論見通りにことは運ばなくても、それほど嘆くことはないだろうと感じた。なぜって、黒竜はそれほどの無茶苦茶をやろうとしているのだから。
天恵を育て、あわよくば伴侶にしようとしている。おそらく番に望んでいるらしい黒竜の暴挙は、きっと黒竜らしい行動なのかもしれないと感じる。狂っていると。
でも、それが叶ったなら、天恵いう運命を背負った憐れな雌竜もきっと報われる。
アドリィ自身も、黒竜を好いているのだから。
隠そうとしているみたいだけど、バレバレで、その竜にしてはありえない引っ込み思案がいじらしくて、応援もしたくなる。
黒竜は、自分の肉を与えるという禁断の方法でアドリィの体を育てようとしているなら、自分たちは精神だ。アドリィの縮こまったままの心を引っ張り出して育てなければ、辿り着いた最後の最後で、自分では駄目だとアドリィが辞退に、黒竜を拒絶しそうだった。
愕然となる黒竜ーーー。それはそれでかなり面白そうだけど、ここはアドリィのためにそんな決心をしないよう鍛えなくてはならないのだと、三人は強い責任感を抱いている。
狂える黒竜と天恵の番。いままでかって、これほど珍しい組み合わせはなく、成立に立ち会う価値は大きい!
うふふふふと心の中でほくそ笑んではいるけれど、悪意はない三人の竜の女たちは今日も、アドリィを側に置いていたときだ。
黒竜が横にいるなら安心だったが、一人でぽつんといると何かに攫われて消えてなくなりそうで、そうなると自分たちの楽しみも消え失せそうで心配なので、アドリィを一人にしないように心を配っている。
そんなときだった。
森に来訪者だった。
しかも、それは人の姿をして、人間の気配もそれ以外の気配だって、全く無く突然、現れたけれど、竜だった。
「ヴァルネライラさま・・・」
波打つ赤毛と、豊満な肉体を誇る美女の姿をした相手の名を呼んだネーザリンネの表情は引き攣っていた。



横に立っていたキリングが、アドリィの肩を掴むと自分の後に隠すように押した。
アドリィに三人の緊張が強く伝わっていた。
アドリィを遠ざけて、ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングが対峙する女が、どういう生き物なのか、一瞬遅れてアドリィも感じ取っていた。
竜だ。
それも、ひどく美しく強い。
ネーザリンネ、ディーメネイア、キリングが霞んでしまうほどの激しさを秘めた女、大きな紅の竜だった。
20160114

前へ 目次 次へ