第三章

13
怒ったガーレルととても怖くて、嫌でも許してくれなくて。
逆らうことなどできなくて、アドリィは口の中の肉を噛んで、飲み込んだーーー。
思い出すとそのときの衝撃が戻ってきていた。
口の中に、味が戻ってくる気がした。
よくわからない締めつけられるような気持ちに涙がじんわりと浮かぶ。
なんだか大きな罪を犯した気分だった。
やってははなら無いことをやってしまったという強い不安感がアドリィの心を占める。
でも、もっと強い衝撃だった。
「その黒竜も今はいないがな」
震える視線を足下に落としていたアドリィは弾かれるように、シルドレイルの美しく白い顔を見る。水色の瞳に静かに見つめられていた。
「おまえも、しばらくあの男の顔など見たくあるまい。追い払ってある」
「あの、あのっ、黒竜さま・・・ガーレルは、どこに・・・」
「おそらく森を出たところにある街だろう」
「どのくらいで戻ってっ・・・」
「さあな。奴、次第だろう。戻ろうと思うなら数日で帰ってくるだろうがさすがに、おのれの所行に後悔しているようだったからな」
「そんな、ガーレルは悪いことなんてしていないっ・・・と、わたしは思います」
「きみの気持ちは今はどうでもいいことだ。あいつが、どう思っているかだろう。どうとも思っていなければすぐに我が物顔で戻ってくるだろうが、やましいと感じているならほとぼりが冷めるまでほっつき歩いているかもしれん。どこまでも適当な奴だからな」
「・・・ガーレルは、やましくないっ、です・・・」
「なら、すぐ戻るだろう。ーーー気を失うような目に合わされても庇うのか。健気なことだ」
「・・・」
アドリィは唇を噛み、何も言えなくなる。
肉を飲み込みこまされたあと、ひどく気分が悪くなって苦しくなった。体中が灼けるように苦しくなってアドリィの体などぐずぐずと熔けそうになった。
そのまま意識を失ったのだと気がついたけれど、今はアドリィの中に怒りはなかった。
そうだ、あのとき自分がガーレルの行動に憤りを感じて、ガーレルの唇に噛みついたのだ。
不遜なことをしてしまった・・・。怒りどころか、今アドリィは反省して後悔している。
だから、その結果、さらにガーレルの不興をかって・・・。
醜態もいいところだった。思い出すとますます恥ずかしくなってもうまともにシルドレイルの顔を見ていられず、顔を背けた。
「女たちに、さんざん、からかわれていたからな。奴の中でどのくらい響いているかだろう」
こちらは意外に、大丈夫そうだなとは、シルドレイルの心の声だ。
思い出され再び卒倒でもされたら面倒臭いのでなるべく気持ちを散らす方向でガーレル叩きで話をしていたけれど、上手いぐらいにくいついてきている。
もっとも、このくらいの毒舌など普段のことだったが、アドリィに関しては最初、出会って早々に失敗していた。
そのあとガーレルが大事にしている小さい特別なものとして、多少言葉を慎もうかとも考えたが、偽装の黒色の件で再び失敗した。取り乱してしまった。
ならばもう、普段通りやると決めていたが、どうににも扱いづらい相手だった。
本当に特別なものだった。
ガーレルだけではない、シルドレイルにとってもだった。
ただの子供の竜だったら煩わしい、寄るなと追い散らすだろうがそれができない。
ガーレルが気に入って傍に置いている気持ちも多少は理解できる。
数日で寿命を終える羽虫か、一晩で散る花の憐れさ、儚さ、繊細さだった。
薄く弱い鱗はその代わりに、通常にないものを確かに与えられていると感じた。
いや、すべてはただの幻想ーーー。
冷静さを欠いている己が感じさせているだけのまやかし。
シルドレイルは自分でちゃんとわかっている。動揺していることを。押さえようと、考えまいとしていてもそんなことは、無理だ。
これは、スフィジェの忘れ形見ーーー。
スフィジェの娘という事実は、如何ともしがたく、一瞬たりとも消えずシルドレイルの心を占領しているとわかっていた。
ガーレルの悪行を強調し、食肉についてはあまり考えさせまいとしていたのだけれど、心とは複雑なもので、シルドレイルの思惑通りなのに不快感だった。
ここまで素直にガーレルの不在に顔を曇らせ、悪口には庇うような態度を見せられると、どうにも不愉快だった。
「そのうち戻るだろう。それまでおとなしく待っていろ」
やはり関わらまいと思った。
それが一番のはずだ。
シルドレイルは冷ややかに言い捨て、アドリィに背を向ける。
檻があるので外敵に襲われることもないし、さすがにあの男も馬鹿ではないはずだろうから、今度はアドリィが触っても怪我をするような物を作りアドリィを守っているだろう。はっきりと目には見えないが今現在も。
なら放って置いても問題はあるまい。
アドリィは、追われているはずのガーレルが街で何をしているのかとか、自分のせいでいろいろ言われてしまったガーレルはどんな様子だったのかなど、もう少し詳しく聞きたかったけれど、取りつく島のないシルドレイルの冷たい横顔に口を閉ざすしかなかった。



「黒竜さま、どのくらいで戻るのかしらね」
「あら、あなた元気ないわね。もしかしていなくて、寂しいの?」
「あなたは、あんなことされて怒ってないの?」
シルドレイルの姿が消えた後しばらくしてやってきた竜の女たち三人組だった。
最初に会ったときのように、女たちは率直で、素朴だった。
ガーレルの力で作られた檻で怪我をするまでは、三人はもともとアドリィに害意を持っていなかった。シルドレイルを狙ってやってきた新しい恋敵と勘違いをするまでは敵意も無かった。
だからもう今なら、アドリィがシルドレイルを狙っているわけではないと知っているので、ただの珍客だった。
黒竜に連れられてやってきた、珍しい天恵の竜。
黒竜によって、人間から救い出された憐れな竜。
20150705

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