第三章

6
「ーーーおい、壊すぞ・・・」
見かねたシルドレイルが嫌そうに口を開く。
壊すつもりはなかったけれど、うっかり力を込めて握って本当に潰してしまいそうだった。
「アドリィ、暴れるんじゃない!」
びくっと体が強張って動きが止まる。
力のある竜の言葉は呪縛だった。
動きを止め震えるだけのアドリィをガーレルは引き寄せ、細い顎を掴んだ。
痛みと恐怖の両方に奥歯をきつく噛みしめている口を、開かせる。
「罰だ。甘んじて受けろーーー」
ガーレルは笑っていた。
何をーーー。
すぐにわかった。
ガーレルはアドリィを捕まえている腕に反対の腕を擦りつけて、黒い衣類の袖を捲った。
腕が剥きだされる。
ガーレルは顔を寄せる。
腕を噛んだと見えた。
口は離れた。
腕の肉が一部、欠けていた。
「やっ、いやっーーー」
アドリィの悲鳴はガーレルの血を見たためか、その先に行われることの予想が付いたためなのかわからなかったが激しくなった。
虹色に変化する瞳から大粒の涙を溢れさせて、強く嫌がっていた。
逃れようと首を振ろうとしたけれど、顎は固定されてほとんど動かない。
ガーレルが顔を寄せると、細い腕がガーレルを押し返そうと必死に突っぱねる。
けれどいくら押しても通じないとわかると、握り拳に代わって打っていた。何度も何度も打つけれど、やはりその程度では黒竜はびくともしない。
ガーレルが口を合わせる。
ガーレルに付いていた血が、アドリィの移って口のまわりを赤く汚した。
『口を開いて、受け取れ。命令だ』
ガーレルは噛み砕いたものをゆっくりとアドリィの方に送り入れる。
「んんっ・・・」
一度では全部入り切らないと思うと、ガーレルは口を離した。
口に含んで泣いているだけになっているアドリィに
『ちゃんと噛んで、飲み込むんだ』
泣きながら従って、喉に嚥下されるのを確認すると、もう一度与える。
「もうっーーー・・・」
許してもらえず再び口を塞がれたアドリィは、あまりに無力だった。
けれど、口を離したガーレルをアドリィは涙目で睨みつけていた。
ガーレルは唇の端をつり上げるように、面白そうに笑う。
「可愛い顔して、なかなかやるね」
口を噛まれたからだ。
それほど大したことはなかったけれど、琴線に触った。
噛まれた場所に指を当てたガーレルはいったい何をするか。
アドリィはささやかな反逆を報いたけれど、結果的には自虐しただけとなった。
ガーレルが自分の爪を当てたから切れて、そこから血がたらりと溢れた。
ぺろっと舌を出して舐めると
「血が止まるまで、これもきみにあげよう」
「いらないっ、いらない、いや、もう、いやだっ!ーーー」
癇癪を起こしたように叫ぶアドリィに腕が伸ばされ、ぽんと肩を押された。
呆気なく後ろに転がっていた。
草の上に倒れたアドリィの上にガーレルが被さるように身を伏せて、口を合わせる。
少し離れたところから、きゃーという黄色い歓声が幾つか上がっていたが、知ったことではない。見るに堪えない光景に、顔を顰めたシルドレイルは空を仰いでいる。



満足したガーレルが身を起こして離れたが、アドリィは放心したように草の上に横たわったまま動こうとしなかった。
瞳は空に固定されて涙を湛えて、頬はすでに流れたものでべとべとに濡れている。
白い顔の中で、口だけが赤く染まっていた。
でもそれは、アドリィのものではなくガーレルだった。
ガーレルは、うっとりといい気分だった。
ひどくいい。
でも、少し物足りないと感じた。
感じてしまうと、かなり足りなかった。
視線は自然に足下の小さな姿に向かう。
足りない。まだ、もっとーーー。
ぜんぜん足りないーーー。
『おい、ガーレルヴェルグーーー』
彼方に飛びそうなガーレルの意識を引き戻したのは、氷の刃のような鋭い声だった。
はっと振り返った先に、シルドレイルの瞳が蒼銀にぎらぎら輝いている。
「私にも食わせろ」
「はーーー何を」
「肉だ。黒竜の肉、食わせろ」
「おまえ?・・・嫌だよ、おまえと口を合わせるなんて」
話の論点が少々ずれていたが、我に返って慌てた黒竜に、蒼竜は冷静に丁寧に否定した。
「そんな手間は掛けさせんさ。おまえはただ、腕を差し出すだけでいい」
あとは自分でやる、とシルドレイルは形も美しい唇を捲り上げて言い、美しい唇の下には宝石のような牙がぞろっと輝いた。
「え。いや、それはーーー」
吹っ飛びかけた意識は完全に沈静化して、口を合わさなくてももっと困ると感じた。
「相当、機嫌が悪いか?」
さっきもそういう話をしていたはずだ。
腕を出したら、一口どころじゃない、腕ごと竜の口で持っていくと想像された。
そんな剣呑な気配がびしびし漂っている。
「それ、より私の方が、付き合いが長いはずだな。おまえが、私にも平等に食わせれば、悪くはならない」
竜の牙を生やした口が不自由に人間の言葉を操った。
20150517

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