第一章

3

唄をやめた少女ははじめて、男の方を見ていた。
そして、小さな消え入りそうな声を出した。
「・・・言葉は、判ります・・・」
人語だった。
唄声とは全く質の違う、少女らしいか細い透明な声だった。
ただし、固く強張っている。緊張のためだ。
「・・・だから、念話は、必要、ありません・・・。危険なことは、どうかなさらないで、ください・・・」
念話を行うには竜の力が必要だった。
竜たちは普段、人間に化けたり気配を消したりして人間という大きな災いを避けるために身を隠しているが、人間に化けていては支えない能力を使おうとしたとき、竜としての息をすることになる。探す者たちにとってその一瞬が最大のチャンスだった。
捕獲され、登録証も発行されている少女は、人間の管理下に置かれて身を隠す必要はなかったけれど、潜伏中の男は自由であっても、すべて自由とはいかないのだ。
人間の姿を取っていても、人語を操って会話をすることははじめてな少女がぎこちなく言うと
「そうか、助かった。感謝するよ」
男は陽気に応じて、髭の口を弛めると穏やかに微笑んでいた。
「しかし驚いたよ。こんな街で、きみの様なお嬢さんに出会うとは」
「・・・王都の、学者さま?ーーー」
さっきそんなことを言っていた。
「ああ、そんなものはもちろん違うよ。拾って持っていた学術院証明書を見せただけだ」
くくくっと笑って、そして
「言葉が通じることがわかったから、もう唄ってくれてていい。きみはそれを貫いて、自分を守ってきたのだろうね。おれの言葉に頷くなり、首を振るなり反応を返してくれればそれでいいから」
静かに言った。
でも、と男はすぐ、慌てたように付け足した。
「名前は教えて欲しい」
「・・・アドリィ・・・」
少女は小さな声で自分の名前を告げた。
「おれはガーレルヴェルグ・ミッドルーン。ガーレルとでも呼んでくれ」
アドリィに続いて、ガーレルは上機嫌に、とても気さくに自己紹介をした。
でも、ガーレルの名前を聞いたアドリィの方は、やっぱりだと緊張が深くなっていた。
「ーーーミッドルーン・・・」
「知っているか?」
「行ったことは、ないです。でも、風たちに聞いたことがあります・・・」
北方の山岳地帯の名称だった。
名の後ろに地名を連ねられるのは、その地を治めている一頭の竜だけだった。
成長した竜は繁殖期以外基本的に単独で行動している。
群れるのを嫌うのだ。
例外的に他竜の眷属や配下として甘んじる竜が、主(あるじ)と共存している場合があるけれど棲んでいるだけでは決して名乗ることはできなかった。
雪深い険しい山脈を、白い雪とは対照的な真っ黒な鱗を持つ大きな竜がねぐらにしていることは聞いていた。
それが、まさに、この目の前の男なのだと思った。
どうしてこんな場所にいるのかと不思議でも、似ているだけで違う存在だと疑う材料はなにも見つからなかった。
人間に化けていても、人間とはぜんぜん違った。
それでも人間にとって、完全に人間なのだろうとも感じた。
体を衣類で覆い尽くして、肌の鱗模様は目に出来なかったけれど、ーーーああ、もしかして自分とは違い、そんな物を残さず完全に化けられるのかもしれないとアドリィは思い直した。
人間にとって、今のガーレルは見た目は完ぺきに人間でも、人間ではないアドリィにとっては、姿をすかしてみることが出来た。
二つの姿を持つだけでなく、ガーレルの周りでは風の精霊たちが賑やかに騒いでいた。風だけではない、もっといろいろな精霊がどんどん集まってきていた。
黒い竜が支配する闇の属性のものすらも集まってきていた。
大きな竜が引きおこしている影響を感じ取っているのはアドリィだけではなく、見世物小屋に捕らわれている動物たちがあちこちで鳴き声を上げ、騒がしくなっている。
みんな、黒竜の存在に気がついているのだろう。
まわりには緊張感を強いる存在の黒竜だけれど、至って当人はのほほんとしたもので、戯けた調子に話を続けていた。
「きみほどではないが、おれも少々面倒なことになっていてね。人間に追い立てられてミッドルーンを出てきたんだが、こういうことがあるならなかなか悪くない」
本当に楽しんでいるようだった。
「こんな出会いがあるならーーー。“天恵”のお嬢さんに出会うことになるなどまさに夢の様な話だ」
ガーレルは純粋に驚いていて、出会ったことを喜んでいるように感じられた。
でも、ガーレルのその言葉を耳にしたアドリィは、どきっと心臓が大きく跳ねた。
アドリィにとってもこんなふうに誰か(竜)に出会うことになるなど信じられない出来事で楽しい気分に包まれていたけれど、ガーレルの言葉に一瞬にして心が冷えていた。



20141016

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