第二章

14
「いや、そうばっかりとも言えない。それ以外にもいろいろ、よくわからんのがいるはずだーーー」
言い淀むガーレルをアドリィは興味深く見つめている。
ガーレルはシルドレイルが苦手なんだろうと思った。
ガーレルの方が体が大きかったけれど、ある程度を越えたなら大きさがすべてではなくなる。
黒い竜の方が大柄だったけれど、四肢を尾を食い千切るのは振り払おうにも離れない決して開かない顎に宿る意志だろう。
大竜二頭が縺れ合い食い合いをする様を想像してしまい、心がどきどきした。
大地が地響きに鳴動し、風が唸り、炎は踊り狂う。水礫は容赦なく世界を打ちすえ、闇空を雷光が引き裂く。
すると見たことのない光景が鮮明に脳裏に浮かび、それは空想ではない与えられた知識で、かつて実際にあったものなのだと感じた。
大きな方の竜の腕を銜え込んだ竜は、水の中に引きづり込まれようと崖に叩きつけられようと決して離さなかった。一心に銜え続け結局、自分より巨体な竜の腕を付け根からもぎ取って戦いは引き分けに終わった。
長い美しい光沢を持った尾は大きく噛み裂かれ辛うじて繋がっているだけの状態で双方が血塗れになった戦いだった。
肉が盛り上がり再生をする前に尾は傷口から先落ちるだろう。自慢の尾を失った竜は相手の腕を奪ったことでようやく満足して、くたくたに疲れ果てていた二竜はそれぞれもう退いたのだ。一月ほど続いた長いものだった。
脳裏の映像を振り払って
「わたしの追っ手もくるかもしれない・・・」
あは、とガーレルがアドリィを振り返って笑う。
「大丈夫だ、来ないよ。来る様なら、最初からあんな扱いをしてなかっただろう。あの男は今頃、金貨を握って渋々諦めているさ」
そして、
「一晩愉しめと、おれに売ったんだ」
物問いたげな視線にもう一度シルドレイルを振り返って事情を話したが、
「それでわざわざ金を払って、買ったのか?」
物好きだなと、一層冷たい視線が痛い。
「え、あ、いやーーーそれは他にも事情があった。べつに、愉しんではいないぞ?」
「当然だ。そんな真似をしたら死んでいる」
アドリィにも冷ややかな視線が注がれた。
そして、嫌そうに長い髪を揺らして身震いするように顔が横に振られた。
そのあとは、深い溜息が一つ。
シルドレイルが去ってゆき、首を竦めて怖々と後ろ姿を見送るアドリィをガーレルは抱き寄せる。
「やっぱりこっちの方が、ずっといい。黒いのも悪くなかったが、どうもなあ。見るたびに疑問を感じた。自分の鱗の色が苦手になりそうだった」
瞳の色も。
自分に誇りを持っているが、自分色に染めたいとは微塵にも思ってはいないのだ。
アドリィらしい白く淡い色彩。
白銀の髪に、鏡のような瞳は、ガーレルがこれまで見たことのない、美しいものだった。
鱗を消すためと理由をつけながら、他の奴に見せないよう隠したいという気持ちが強かったのだと気付いている。
それで、隠してみた結果、失われ自分でも二度と見られなくなっていては本末転倒だった。
鼻先が触れるぐらい近くから金色に覗かれて、アドリィは眩しくて目を逸らせてしまったが、とても嬉しい気分だった。
シルドレイルに失敗を責められて、もう面倒になって窮屈な完全人間化をやめたらしいガーレルが、金の瞳を細めて、くつくつと楽しそうに笑っている。
ひどく近くて、アドリィはどぎまぎとなってしまうが、逃げたいのではない、ずっとこうしていたいとさえ感じていた。
自分では鱗も隠せなくて、まだ自分に誇りも感じられない。
けれど、ガーレルの黒でいるよりか自然だった。
アドリィの素の色は黒に比べ、ずっと弱々しく見えるし、実際、弱い。戻ってから体が重いのはガーレルの力の庇護がなくなったから。
だからこれがアドリィ本来の感覚だった。
でもこれでいたいと思った。
許される限り。
気配が消せず迷惑になるから、周りに許して貰える限りだ。
鱗の色には好きとは感じられないけど、これもたぶん誇りだった。
アドリィは弱くて、大きくなれない小さな竜で、でもそれ以外にはなれない。これがアドリィだ。
そして、なれなくても、もういいやと思った。
こっちの方がいいと言ってくれる黒竜がいるのだから。
「あいつのお許しが出たのだから、このままでいるとしよう。まあ、竜にまで戻ると、森を壊したや、小川を踏み抜いたなど、いろいろ文句を言われそうだからなーーー。で、もし何か面倒なのがやって来たら、その時はその時、ここの奴らにまかせて、ちゃっちゃっとおれたちは逃げればいい」
巫山戯たように言った。
でもきっとガーレルは本気で言っているのだと思った。追われているのに、街の中で黒竜に戻って暴れるぐらいなのだから。
くすくす笑いだした柔らかなアドリィが、ガーレルにはなんとも可愛くてたまらなかった。
愛らしくて愛らしくて、食べてしまいたいぐらい。
ガーレルは、もしかするとこれはかなりあぶないのか、と密かに感じた。
なんだかいろいろな欲求が一緒くたになって、込み上げているような気がする。
危険な気が少々する。
でも大丈夫。
食べたらなくなることぐらい馬鹿ではないのでわかるし、それ以外だってーーー。
シルドレイルがぐっさりと釘を刺していったから。
『そんな真似をしたら死んでいる』ーーーが、重い重い呪詛になって黒竜は心を縛られたから。
小さなアドリィ相手に愉しむなど、そんなつもりはあの夜、まったくなかったけれど、話の展開に言ってびっくり、言われてぎくりだった。
限りなく自然な雄性的な発想だと思うのだが、もうちらっとでも想像するだけで即、『したら死ぬ』が蘇り、場景の想像も容易い。
自分には殺す気など露ほどもなく、そもそもちょっと巫山戯たぐらいで、真剣に何かしなくても圧し潰してしまいそうーーー。
ほらもう、心が震えるほど強い効果を発揮してくれてるからーーー。



黒竜が動揺を抱えている頃、蒼竜も軽くないものに包まれていた。
スフィジェの子。
スフィジェの忘れ形見。
スフィジェの残した娘。
唯一のーーー。
シルドレイルの心に大きな大きな動揺が走っていた。
いろいろなものが覆ってしまうような、激震だった。
もう忘れたことだったはずなのに、終わってしまったはずのことだったのになぜ今頃になってーーー。
スフィジェとは、シルドレイルが焦がれた竜だった。
シルドレイルが己の気持ちをはっきりと意識した頃には、スフィジェには伴侶がいて、すでに番になってしまっていた。
番になっていなくても、若造のシルドレイルを伴侶に選ぶとは思えなかったが、それでもシルドレイルの気持ちは冷めてゆかなかった。
番となった者を求めるのは大罪、禁忌だった。
理を犯すことを畏れるというより、そんな真似をすることでスフィジェから憎悪を抱かれるのが耐えられなかった。
だから何もできることはなかったけれど、諦めもできず、見守った。
思いを忘れることが叶わなかったのだから。
20150201

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